20151004  『 すぐおいしい、すごくおいしい! 』 
                                   コリントの信徒へのへの手紙T 10:14〜22
 
 世界聖餐日は、ただ皆で聖餐式を共にする日ではないと思います。それを通して、主の平和を思う時です。神さまの愛と正義を覚える時です。ですから、第二の平和聖日と呼ぶ人がいます。
さて皆さん、靖国神社に行かれたことがありますか?遊就館という建物があって、そこに様々な資料が展示されています。例えば、何体かの等身大の日本人形が飾られているのですが、それは戦争で結婚することなく亡くなった方のために、遺族が送った花嫁人形なのです。遺族の感情を否定するつもりはありません。ただ、その花嫁人形が遺族の家にあるのならまだ分かるのです。でもそれが靖国神社に飾られていることの違和感がどうしても私にはあります。
 その遊就館の入り口近くに、母の像と戦没馬慰霊像、鳩魂塔、軍犬慰霊像が建てられています。母の像は文字通り母の像です。戦没馬とは軍馬、馬の事です。鳩魂塔のきゅうとは鳩のことです。軍犬は犬のことです。どれもこれも戦争に用いられた動物でした。
 パンフレットにはこう書いてあります。母の像に対しては、戦争でお父さんをなくしたお母さんが、残された子どもをしっかり守って立派に育ててくれました、と。動物の像に対しては、戦場に倒れた軍馬の霊を慰める為、奉納されました。けなげな通信員として活躍した伝書鳩の霊をなぐさめるため、同じく兵隊さんの友だちだった軍犬をなぐさめるためとあります。それぞれ、「銅で作った実物大の神馬が雄々しく建っています。台座の上に鳩と地球儀のブロンズ像が置かれています。りりしいシェパードの軍犬です」などと紹介されています。
 これらは読む時、一見当然の慰霊像のように思えますが、しかし実態は、美化であり、正当化であり、問題のすり換えに他なりません。結婚せずに亡くなった人がいる一方で、お父さんを亡くしたお母さんがいます。そして苦労や人生は人それぞれです。決して一くくりにできるものではなく、逆に九死に一生を得て復員したものの、手足を失ったり、精神的におかしくなったお父さんたちもたくさんいたはずなのです。
 また、馬にせよ、鳩にせよ、犬にせよ、人間すら見捨てられた戦場に、いっさいが置き去りにされたのです。その数、馬だけで100万頭と言われています。どのように言いつくろおうとも、現実には見捨てて逃げ去ったのが事実だったのに、「銅で作った実物大の神馬が雄々しく建っています」、では余りにも白々しいではありませんか。事実をぼかした上に、反省や謝罪の言葉もない訳です。
でも、ひとたびそのような説明文のもとに建てられたものは、慰霊というより崇拝の対象としてあがめられるようになります。ただの馬ではないのです。神馬なのですから。つくづくと、偶像の持つ危険性を感じます。偶像を神とすることは、現実から逃避し、作り変え、都合の良い意味にすり変える出来事なのでした。
今日のテキストは、題名通りコリントの教会の信徒に宛てて書かれたパウロの手紙です。コリントの町は、位置からしてギリシャ文化の一大中心地であり、そこに更にローマ文化が流れ込み、またユダヤ人も含めて地中海沿岸の様々な人々が移り住みました。経済的に栄えた商業の拠点でもありましたが、文化的に宗教的に様々なものが入り混じった雑駁な町、多様性の都市でありました。
この教会で起こったのは、まずはパウロに付くか、アポロに付くかという指導者を巡っての対立でした。しかしそこには単に指導者選びだけではない、背景に多くの課題が渦巻いていたのです。5章では、かつてモーセに率いられて荒野の旅を続けたイスラエルの民が、その40年の間に繰り返し引き起こした問題が振り返られています。
それは偶像礼拝の問題に始まって、乱れた性の問題、裏切りの問題、不平不満の問題、神さまを試みる問題などです。しかしこれは決して相当な昔、特定の場所で、一部の人々だけが経験した問題ではなく、パウロは何時の時代であっても、どこの場所であっても人間が遭遇する基本的な問題だと言うのです。本当にそうだと思います。
そして、そのような問題を繰り返し味わう人間だけれども、でもそこに神さまの守りがあって導かれているのだと書き送ったのです。「神は人に耐えられないような試練をお与えになるようなことはないのだ」と断言しています。つまり、今コリントで起こっている様々な問題は、何もコリントだから特殊なことではなくて、昔から誰でも経験すること、生きている限り、人間には次から次へと現実問題が起こるけれど、その人間を永遠の神さまがしっかり包み守って下さるのだ、大丈夫、心配ないというのです。14節に、こういうわけですから、とあるのはそういうことです。
ギリシャ神話の中心ですからコリントの町には人間の数より多いとも言われたくらい、神話の神々の像が町のあちこちに建てられておりました。また町のどこからでも見渡せられる小高い丘の上に建てられた神殿には、神殿と共に食堂が設置されておりました。この神殿にお参りする人が持参した捧げ物の肉が、隣接する食堂で参拝者に出されたのです。
けれども、そこへ肉を持って参拝できる人は限られておりました。まして誕生日や結婚式をそこで祝える人々は、言うまでもなく裕福な人であり、社会的地位の高い人だったのです。町を見下ろす素晴らしい雰囲気の中で取るお祝いの食事はさぞかしおいしかったことでしょう。
しかし貧しい人々や奴隷層の人々など、生きるに課題を抱える人々はその食堂の食卓に付くことなど全く考えられませんでした。そもそも不平等な食堂だったのです。ところが、コリントの教会に通うクリスチャンの中で、その異教の神殿の食堂で、食事をする人たちがおりました。東京の大森めぐみ教会にいた頃、隣が有名な寺で、元旦礼拝の後初詣をして帰る人がいて苦笑させられたのですが、それに近い感覚だったのでしょうか。宗教的意味合いを何も考えず、一種の高級レストランのように神殿の食堂を利用する人たちがいたのです。
 それに留まらず、彼らの一見自由な振る舞いに引きずられて、イエスを救い主と信じながらも、異教の神さまをも同様同等に信じる人々も出現し始めました。彼らの視点からは、その食堂に行けない人々の存在は失われていました。にも関わらず彼らの言い分は、まったく自己正当化以外の何ものでもありませんでした。言わば、彼らの言動は、現実逃避であり、作り変えであり、すり替えでした。まさしく偶像崇拝の危険が現実のものとなったのです。
 ですからパウロは、ここで何よりも偶像礼拝を避けなさいと命じています。20節から、「私が言おうとしているのは、偶像にささげる供え物は、神ではなく悪霊に捧げているという点なのです」、と書き、「主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方に着くことはできません」、と断じているのです。悪霊の食卓とは、自分のことだけ考えて、他者のこと、とりわけ社会的弱者の事を何ら顧みない、神さまの視点から著しくずれた食卓のことを言うのでした。
 或る牧師は、今日のテキストに関してこんな文章を書いています。
「イエス・キリストにあって一つとなることは、互いに配慮し合い、違いを認め合うことである。主の食卓は、平和の食卓として守られるのが相応しい。かつてボストンのバプテスト教会で世界聖餐日礼拝を捧げた。色々な文化をパンとぶどう酒で表すため、おかき・クラッカー・パン・白ワイン・赤ワイン・日本酒を用いた。器の中に多様性が美しく輝き、キリストの豊かさを味わったいっときであった」
 信仰とは、「神さまの前で自分の口を閉じることだ」と述べた人がいます。自分を通そうとして無理やり作り変え、問題のすり替えをなすことは、信仰ではありません。イエスを通してパンと魚を分ち与えられた5000人の群集たちは、もともとわずかの食べ物にもかかわらず、食べて即皆が満腹し、満足したのです。福音に混ざり物、まがい物はありえません。福音はきっとすぐおいしい、すごくおいしいものです。それは何の条件も必要なく、天から与えられる恵みの招きなのです。この無条件の招きに応えて、今日私たちは、世界中の教会と一緒に聖餐式を守るのです。感謝します。

 天の神さま、常にあなたの視線の先を心に刻みたいと思います。私ではなく、あなたを、また隣人を覚えるものとして下さい。


 
 
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