20151101  『 陰ひなたに咲く 』 テサロニケの信徒への手紙T 4:13〜14
 
 永眠者記念の今日、岐阜の各務原教にいた時の教会員だった与那城さんご夫妻のことを与那城さんに無断で紹介したいと思います。今はもともとご実家のあった宮崎にお住いです。そして高鍋教会に通われています。
 与那城さんは各務原の時は、大手建設会社に勤めるサラリーマンでした。その一方、役員として、月報委員として、また家庭集会のホストとして誠実に信仰生活を送られました。各務原で初めて主任牧師となった私はどんなにご夫妻に助けられたか分かりません。
 その後、私が土佐に転任した後、与那城さんは会社勤めを定年を待たずにお辞めになられました。第二の人生は介護の道を歩みたいとして専門学校に入り直されたのです。思い切った決断をなさったのには、色々な出来事があったからだと想像しています。影響の一つには外国語の専門学校に勤めていた娘さんが牧師を目指して同志社に入り直したということもあったかもしれません。
 ともかく決意した道を淡々と歩まれ、無事に資格を取っていよいよ新たな働きをなそうとされた、その時にお連れ合いがアルツハイマーであることが判明したのです。奥様も各務原教会の一員として、多くの奉仕を担当なさっていました。しかしその姿勢は、決して目立つものではなく、むしろ陰に回って控えめなものに終始しておられました。その頃、息子さんが将来を巡って揺れていた時期で、彼女も母親として心痛を抱えておりました。その心痛が髪の毛が抜けるという症状になって現れていて、当時私たちもただただ祈りを合わせることしかできませんでした。
 奥様がアルツハイマーだと分かってからの与那城さんの決断と行動は驚くべき速さでした。介護の道はすっぱり断念し、今後の病の進行を考えて、各務原の住宅を売り払い、故郷の宮崎に引っ越されたのです。息子さんの事がもちろん気がかりだったでしょうが、すべてを神さまに委ねて、各務原を後にされたのでした。
 以来、予想通りお連れ合いの症状は少しずつ進行しています。色々な事を忘れて行くことは大変なショックであることでしょう。料理をすることができなくなった奥様に代わって、家事のほとんどすべてを与那城さんが受け持っておられるそうです。石橋教会にいた時、何かの用事で大阪来たついでに我が家に寄られ、こう言われました。「今となっては、私が介護士の資格を取ったのは、この人の面倒を見るためだったと分かりました。」
 でもその表情に何ら暗さはなかったのです。気負いも感じられませんでした。まだ各務原の記憶は残っている奥様ともども、その時久し振りの楽しいひとときを過すことができました。ちなみに娘さんは同志社を出て今は千葉の教会の牧師をしています。息子さんも店を構えてしっかり歩まれています。人生の課題はあっても、大きな意味ではなにもかもが守られていたという、実に大きな励ましをいただいています。
 さて今朝与えられたテキストにおいて、パウロは「次のことを知って欲しい」と断って、「イエスを信じて眠りについた人たちをも、神さまがイエスと一緒に導き出して下さいます」とはっきり語っています。
 これは終わりの日のことです。ですから、本当はパウロ自身も見たことがない、経験したことのない日のことを語っている訳です。意地悪く「ほんまに見たんか?」と問えば、「いや、実際にみた事はないのですが」と断りが入る場面でしょう。
 誰も見たことがない、もちろん自分自身にも経験のない事をあたかも本当の事のように語ることは、言わば偽りであり、詐欺かもしれません。宗教が怪しまれる最大の要因です。証拠もない、体験すらないものを「ある」と言い、それを更に語る訳ですから、胡散臭いと思われてもしようがないのです。
 しかし、それでもなおパウロには確証がありました。それは彼自身が歩んで来た人生の中に理由があったからです。彼は熱狂的な律法主義者であり、ユダヤ主義者でした。自分を誇る一方で、さんざんクリスチャンを迫害し、追いやってきた者の筆頭でした。しかもそれすら自慢であって、何の反省も悔い改めもない人物だったのです。けれども、目を見えなくされた暗闇の三日間のうちに、彼はイエス・キリストと出会いました。そして用いられたのです。たった三日間の思いがけない出来事によって、180度違う人生を与えられたのです。
それは、「恐れからの解放」の出来事と言っていいでしょう。律法により頼み、ユダヤ主義者として自分自身を誇って来たのは、実は何もない自分を大きく見せるためであり、虚構の姿を取って、恐れから逃れるためでした。あの態度のでかいので有名だった清原選手が引退した時、そのインタビューで「これまで偉そうに振舞って来たのは、小さい自分を見破られるのが怖かったからです。お許し下さい」と語ったのを思い起こします。それを聞いて私は初めて清原選手を偉いと思いました。パウロもまた、虚構の中に生きて、本当はしんどく、汲々としていたに違いありません。それが主によって、解き放たれた。小さく愚かな自分でも覚えられ、赦されていると知ったのです。それは本当の意味での「自分の人生の肯定」でした。
 或る神学者が「私はいかに生きるか」という文章を書いています。
「この地上でいかに生きるかという問いにおいて大切な一つの点は、私がいかに生きるかという点です。その他大勢ではなく、この私がいかに生きるかを、生命の支配者なる神に問い、真剣に考えることです。神のために私がこの地上で、この社会で、いかに生きるかということが大切です。つまり信仰者にとっては、この世に生れてきたことは、神さまから与えられた使命と結びつくのであって、地上における私の存在にも何か意味があるという信仰です。そして、それは具体的には、私がおかれたその場所に、神の召しを感じて、そこで責任を持つということになります。」
 与那城さんにとって、彼が置かれた場所で、神の召しを感じて、そこで責任を持つという具体化は、奥様の介護ということなのでした。
 私たちの信仰は「私はこれでは駄目だ」と思い悩むことではないのです。自分を責めることでもないのです。そうではなくこんな自分でも良いのだ、という自己肯定を神さまが下さることを知ることなのです。それ故に、何も恐れることはありません。
 あるべき理想の自分像をこしらえて、その高みから自分を見つめるなら、到底そこにたどりつけない自分を情けなく思い、こんな自分はダメだと否定するしかありません。自分を否定することを神はよしとされないのです。今ある自分の現在地から考えて、そこからどこを目指すかが大事なのです。
 立派な事をしなければならないのでは決してありません。陰日なたに咲くのは、私たちではないのです。人に見られていようといまいと、裏表のない人生を歩むことは人間の一つの理想かもしれません。けれども、私たちではなく、すべてをご存知の神さまの恵みが私たちの人生のどこにも、陰日なたに置かれているのです。信仰の諸先輩がたがそうされたて人生を全うされたうように、恐れず、たゆまず、私たちの人生の陰ひなたどこにも注がれている神さまのその光を見つめて歩んで参りましょう。


 天の神さま、あなたの赦しの恵みに感謝します。あなたの真理の光に包まれて歩みたくと心から願います。どうか一人一人を固く導いて下さい。


 
 
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