20151108  『 そんな訳ないやろ?いや、そうです。 』 創世記 12:1〜9
 
 少し昔話、子どもの運動会の時のことです。息子が800メートルリレーの第3走者で出たのです。ひょっとしたら1位を狙えるかもというので、大いに期待して出かけた訳ですが、残念なことに第一走者が、スタートの直後、勢い余って転んでしまったのです。予想外のことに、思わず「嘘やろ」という声が上がりました。結局1周目から大差がついてしまいました。もちろん息子も含めて後の走者たち、懸命に追いましたが、1周目についた差をとうとう詰めることはできませんでした。
 そういう訳で、リレーとしての興味が早々に奪われてしまった格好だったんですが、私はそれを見て、かえってリレーは信仰生活のようなものだと、つくづく思いました。4人の走者はそれぞれ自分の任された200メートルずつを責任を持って走るのです。それぞれの時点では、全体として例え1位であったとしても、順位は関係ありません。みんな各々の分担を懸命に走って後は託すのです。つまりそれぞれの走者に勝利も敗北も結論もない。一人で完結するものではない。ですからこそ、たとえ大差がついても終わりではなく、また中止でもなく、諦めずアンカーが走り抜く姿に拍手が送られるのでしょう。誠に、信仰はそのようなものだと妙に納得したことでした。
 さて、今朝与えられたテキストは、アブラムの物語です。後にアブラハムと名前を変えますが、この時点ではまだアブラムでした。
 アブラムが75歳の時に、神さまからの命令が下されるのです。出立の指令です。ただ、どこへ行くのか肝心の場所は全く示されませんでした。1節にあるように「あなたは生れ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。」これだけなんです。
 生れ故郷、父の家とはどこかと言いますと、それぞれウルであり、ハランというところでした。11章の最後、31節を読みます。
「テラは息子アブラムとハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向った。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。テラは205年の生涯を終えて、ハランで死んだ」
 こうあります。聖書の後ろについている地図の1番「聖書の古代世界」と書かれている地図をちょっとご覧下さい。
 アブラムのお父さんであるテラは、バビロンのウルを出発してハランにたどり着き、そこに住んだのです。このウルとは今のイラクの中の町です。そしてユーフラテス川をずっと北上して行くと、ハランにたどり着きます。およそ1000キロほど離れています。それは大変な旅の末に、ハランに何とか落ち着いたということです。
 それだけ考えても、凄いことです。息子の妻サライとありますから、既に結婚をした後に、お父さんに連れられエライ目をしてハランまでやって来たのです。まさしく波乱の旅と言えます。
 ところが、そんな旅の末にやっと落ち着いたハランを捨てて、行く先がどこかも分らないのに出かけよ、と神さまは言われたのです。ついでに言えば、アブラム一行は、この後まずは西に向けて旅立ち、途中進路を南に変えて下り、カナン地方まで来るのです。地図の左下隅に死海周辺の小さな地図がありますが、今日の箇所でアブラムが祭壇を築いたのが一番上のシケムというところです。まあ、アブラムたちはウルからハランにたどり着いたのとほとんど匹敵するような距離をたどってやって来た、大変な旅をしたのだと想像されます。
 しかも75歳とありました。もちろん聖書上の年齢であって、本当に75歳だったということではありません。でも後の記述を読むと、ちょうど75歳ではなくても、相当の年に達していたということが分ります。ちなみに彼は100歳で息子イサクが与えられ、175歳で死んだことになっています。聖書の中のアブラムの記述の重さとしては、すべてが相当な年齢になってから与えられた出来事になりますが、今も言いましたように、いつかは分らないけれど、若い頃お父さんに連れられてハランにやってきただけでも、その人生の中で十分しんどい、きつい体験を持っていたのです。
 そんなアブラムに再び「出かけるよう」神様から指示が出されました。4節に「アブラムは主の言葉に従って旅立った」と極めてあっさり書かれていますが、前の旅を経験しているだけに実際には随分な決断があっただったろうと思うのです。続く2節3節に「私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」こういう神さまからの約束がなされています。いわゆる神さまのアブラハム契約です。
 正直、この約束がなかったら、この旅立ちはなかったでしょう。あなたの名を高めるとは言われても、この時点でアブラムには自分の子どもさえ与えられていなかったのです。それでも彼はこの神さまの、悪く言えば何らあてにはならない約束と祝福の言葉に一切の期待を掛けて出発したのです。
 そして長い旅路の果てにカナン地方に入り、シケムまでやって来たのでした。決して楽な旅であるはずはありません。またその間、いつ神さまからゴールを示されるのか日々期待しながら、待ち望んで過して来たに違いないのです。そしてその時ようやく、出発以来初めて神さまから声がかけられたのです。それが7節、「あなたの子孫にこの土地を与える」というものでした。
 いかがでしょう。住み慣れたハランを捨て、とんでもない行程を歩き通して、やっと与えられた言葉が、「あなたの子孫にこの土地を与える」であったのです。「嘘、そんな訳ないやろ?」と叫びたくなるような言葉です。エライ目をしたのはアブラムと一行なんです。それも神さまの命令を疑いもなく受け入れて旅立ったのです。「ここが約束の地だ。ここをお前に与える」なら分りますが、そうではなく「お前の子孫に」と言われたのです。それもまだ子どもがいない彼にです。
 カナンは肥沃な良い土地ではありました。でも最初のあの神さまの言葉に比較するなら、それは光輝く、栄光の場所などではありませんでした。「嘘やろ、こんなとこかいな」と拍子抜けするような結末です。しかもそれは子孫に与えられるのであって、彼にではない。アブラムにはまだまだ先の見えない果てしない旅路が待っていたのです。
 けれども、彼はそれを受け入れました。そんな訳ないやろ?とつぶやきたくなるような場所で、神さまから「いや、そうです。ここがそうです。ここを子孫に与えます」と断じて声をかけられたからです。ですからこそシケムに祭壇を築いて、再出発をしたのです。アブラムには、ただただ今が彼が神さまから託された道のりを歩み抜くべき道のり、一人のランナーの行程でありました。
 かつて教団議長を務められた鈴木正久牧師は、「王道」という著書の中で、自分は神のもと、キリストのもと、聖霊のもとへ行く事は当たり前のこととして説教して来たと書かれました。それはなぜかというと、「わたくしのようなものを天国へ入れなかったら、キリストの沽券にかかわるじゃないか、という訳だからです」と言われたのです。
 私もそう思います。私たちは自分自身が栄光のランナーではなく、常に次にバトンを渡すため、今自分に与えられたはせ場を走る者として立てられているのです。或いは切望する願いが叶えられることのない生涯かもしれません。嘘やろ?と疑いたくなるような道のりかもしれません。けれどもすべて次がある。
 私自身も時々、神さまを忘れてしまう弱い存在ですし、小さな信仰しか持ち合わせておりません。それでもイエスが出会って下さったこと、これは信じております。皆さんもそうだと思います。例え、自分自身の信仰生活はどんなに頼りなくても、神さまがイエスを与えて下さり、主が出会って下さったこと、これだけは皆信じておられると思います。それがキリスト者の原点です。
 その神さまを信じるなら、その先がないはずはないのです。出会いを下さり、救うと約束して下さった神さまの力を見くびってはなりません。未来への道を導くことはまさにキリストの沽券に関わることでしょう。
 信仰の旅路は、空間の旅路ではなく、時間の旅路だと言われます。私たちは、アブラムのように、次を目指して一つ一つ自らの歴史のあちこちに祭壇を築きながら、先へ歩んでゆくよう導かれています。


 天の神さま、あなたとの出会いに感謝します。それを信じるが故に、これからの歩みをも信じて委ねます。どうぞみ心のままにお導き下さい。


 
 
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