20151224 クリスマスイヴ礼拝 『イエス追跡大作戦』
 
  皆さん、ノーラッドが行っているサンタ追跡大作戦をご存知でしょうか。ノーラッドとは、ノース・アメリカン・エアロスペース・ディフェンスコマンドの略称で、北米航空宇宙防衛司令部というアメリカとカナダが共同運用している組織です。各国の人工衛星や核ミサイル、戦略爆撃機の動向を24時間体制で監視しているところで、いわば最前線の秘密基地といったらよいかと思います。
 そのノーラッドが、一年に一回、クリスマスに「サンタ追跡大作戦」を行っているのです。マイクロソフトとの共同作戦でもあります。1998年から始まった行事で、この日だけは普段の緊迫した業務から離れて、北極を出発したサンタクロースの動向を全世界規模で追跡し、報告するのです。これは通常使用しているレーダーを始め、偵察衛星やイージス艦まで動員する本格的な作戦で、2006年度の報告によれば、サンタクロースは日本地域では新幹線の100倍のスピードで移動しているのだそうです。新幹線は大体300キロ前後の速度ですから、その100倍と言ったら、時速3万キロということで、ジェット機より何倍も速い訳です。そんなスピードでプレゼントを配れるのか疑問に包まれますが、それぐらいでないとイヴのひと夜に世界中を回ることはできないというのがノーラッドの見解です。まあ、ノーラッドが真面目にやればれるほど、サンタの行動を科学的に説明することが無理になってくる本末転倒の話です。でも興味ある方は、サイトを開いて見て下さい。
 さて、クリスマス・イヴです。イエスの誕生をお祝いする夜です。2000年前生まれたイエスの誕生を、私たちは同時にイエスの再臨という形で心待ちにしています。
 2018年に新しい訳の聖書が出版される予定になっています。そのうち、テサロニケの信徒への手紙T、ヤコブの手紙、ヨハネの黙示録の3つの文書は、既に翻訳作業が終了して、先ごろ先行発売のパイロット版として売り出されました。パウロが書き記したテサロニケの信徒への手紙T、その4章に、主は来られるという小見出しで、イエスの再臨される時のことが記されています。最新のパイロット版で、そのところ4章の15節からを読んでみましょう。
 「主の言葉によって言います。主の来臨の時まで生き残るわたしたちが、眠っている人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令、大天使の声と神のラッパの中、主ご自身が天から下って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、続いて生き残っているわたしたちが、主と会うために、彼らと共に雲に包まれて空中へと引き上げられます。こうして、わたしたちはいつも主と共にいることになります。ですから、これらの言葉によって互いに慰め合いなさい。」
 どうでしょうか。多分ほとんど理解不可能だと思います。要するに、これはパウロに与えられた幻であって、他者には分からないのです。ただ一つ、パウロは「互いに慰め合いなさい」ということが最も言いたかったのだ、そのことは理解できるのです。
 元教諭の方の新聞投稿記事を紹介します。
「小学校の教員をしていた時、この季節になると、クラスの子どもたちから「先生、サンタさんって本当にいるの?」と聞かれることがあった。この質問にはいつも悩まされていた。▼ある年、3年生のクラスで同じように聞かれた。そこで、子どもたちにサンタはいるのか討論させてみたらどうかと思って、呼びかけてみるとたちまち教室内は大混乱になった。▼「サンタいない派」が優勢になっていた時、ある女の子が「サンタさんはいるよ。見える人と見えない人がいるだけなんだ」と発言し、一気に雰囲気が変わった。その子はクラスのみんなからの信頼が厚い子だった。あの子が言うのだから本当かもしれないと揺れ出したのだ。最後はみんな、サンタがいるのかいないのかよく分からなくなってしまった。▼なんと哲学的な答えだろうと私は思った。見える見えないは問題ではなく、サンタは心の中にいるのだと教えられた。」
 この元先生はたぶんクリスチャンではないでしょう。クリスチャンだったら、「絶対いるよ」と教えたはずです。でも、見える見えないは問題ではなく、心の中にいるのだと教えられたという、その結末は大変素敵です。パウロもイエスの来臨について同じことを語ったのです。いつの日か再臨するイエス。でもそれが見える見えないは問題ではなく、心の中にイエスがいるかどうか、そのほうがずっと大切なのです。

 しかし一方で、「Merry Crisis and a Happy New fear」なるパロデイのあいさつがヨーロッパで流行っているそうです。「危機おめでとう、新しい恐怖に幸あれ」。そういう世相です。時代です。笑うことができないブラックジョークではないでしょうか。

 八木重吉というクリスチャンの詩人がおりました。東京高等師範学校を卒業して御影師範学校の英語の先生となりました。25歳の時、7つ下の富子さんと結婚しました。大正11年、1922年のことです。結婚したのは御影町石屋川の借家でした。残念ながら30歳で亡くなりました。短くて生き生きした詩をたくさん残しました。
 「イエス」という詩があります。
 イエスの名を呼びつめよう
 入る息、出る息ごとに呼び続けよう
 いきどおりがわいたら イエスの名で溶かそう
 弱くなったら イエスの名で盛り上がって強くなろう
 汚くなったら イエスの名できれいになろう
 死の影を見たら イエスを読んで生き返ろう

 もう一つ、「聖書」という詩を紹介します。
 この(聖書)よい本のことばを
 内側から見入りたいものだ
 一つ一つの言葉を
 私の体の手や足や
 鼻や耳や そして目のように感じたいものだ
 言葉の内側へ入り込みたい

 私たちは毎年イエスの降誕を待ち望み、クリスマスをお祝いします。でも毎年の恒例行事となって、あそこにもここにもクリスマスの飾りつけがされてあって、目に見えるクリスマスの光景がもう当たり前になっています。
 パウロがイエスの再臨について書き記してから、やっぱり2000年くらいになります。もしかしたら、イエスはすでにやって来たのかもしれません。どこにいるのかノーラッドで追跡してもらうのも一案かもしれません。
 本当の問題は、クリスマスが当たり前過ぎて、イエスに会うことなどあり得ないと知っていて、形ばかりのお祝いに興じていることにあるのではないでしょうか。その後イエスは再臨されたのか。されていないのか。されたのならどこへいらっしゃるのか。されていないなら、いつまで待つのか。本当にはいるはずがないじゃんとシニカルに、冷ややかに現実を見つめるのか。
 90年ほど前、八木重吉は「イエスの名を入る息・出る息ごとに呼び続けよう」と歌い、
「私の体の 手や足や 鼻や耳や そして目のように感じたいものだ」とつづりました。
 私たちはどうでしょう。何より大切なのは、私たちの心の中にイエスがおられるかどうか、おられるのに気付いていないとしたら・・・。羊飼いたちは天使のお告げを信じ、生まれたばかりのイエスを探してやって来ました。東の博士たちも星に導かれ、はるばる探してやって来ました。私たちも今宵イエスの誕生を覚え、救い主を探しに出かけたいと思います。そうして互いに「Merry Cristmas!」のあいさつを交わしましょう。


 天の神さま、み子の誕生をありがとうございます。今日から新たに始まった出来事として、私たち五感を用いてイエスと共に生きて行きたいと思います。後押しして下さい。
 
 
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