20160110  『 どこかで春が生まれてる 』
 
 クリスマスはすっかり世界中で12月の欠かせない行事として定着していますが、もともとはヨーロッパで冬至の祭りやサルトゥリナリアと呼ばれる農耕の祭りに合わせて3世紀頃に始まったと言われています。
 朝散歩をしていますと、12月22日の冬至からわずか2週間あまりしか経っていないのに、確かにもう日が長くなっているのを感じます。今年は暖冬ですけど、それでもまだまだ冬です。そして先のようですが、実は春は確実に近づいている訳です。その春に向って希望を抱き、期待を膨らませる冬至の祭りに、救い主の誕生、クリスマスを重ねた当時の人々の気持ちが分かるように思います。
 その北欧、フィンランドでピアニストとして活躍して来た館野泉さんという方がいらっしゃいます。1936年生まれ、東京芸大を主席で卒業した後、縁あってフィンランドへ渡り、声楽家である当地の女性と結婚し、精力的に演奏を続けて来られました。これまでに出されたCDは130枚、コンサートは3500回を越すそうです。
 その館野さん、2002年の1月、14年前のちょうど今頃ですが、フィンランドでのコンサートの直後に脳出血で倒れたのです。幸い命は取り止めましたが、右半身不随となってしまいました。右手が動かない、ピアニストにとって致命傷を負ってしまったのです。リハビリを続けつつも様として動かない右手。憔悴の2年が過ぎました。もはや音楽家としての再起は無理かもしれない。絶望の思いが繰り返し彼を襲いました。
 そんな或る日、バイオリニストである息子さんが父のお見舞いに訪れ、帰り際、黙って楽譜を置いて行きました。それは左手で演奏するために作曲されたピアノの楽譜でした。この楽譜が転機をもたらすことになりました。
 ちなみに、日本ではほとんど知られていませんが、ヨーロッパの楽器店では、しばしば左手で演奏するための楽譜コーナーが大きく取られているのだそうです。
 その楽譜を受け取った館野さんは、やがて動かない右手に捕らわれる事を捨てました。そして左手だけの練習を積み重ねて、遂に再びコンサートを開くようになったのです。その様子が「左手のピアニスト」としてテレビの特別番組となりました。また「奇跡のピアニスト」として特番も組まれました。素晴らしい演奏のみならず、演奏家としての新たな生き方が、大きな反響を呼んだのです。
 館野さんは言われます。「奇跡などと言われるのは照れます。左手で演奏するということは、両手が揃っている2マイナス1の演奏ではありません。例えば単旋律しか吹けないフルートやピアノ伴奏が必要なバイオリンと一緒で、それだけで十分に魅力的な演奏ができるのです。音楽をするのに、手が1本も2本も関係ありません。」そう語られるのです。
 私などはこういう番組を通して初めて館野さんの存在を知りましたから、私にとっては始めから館野さんは左手のピアニストでした。ですから驚かされたのは、その演奏の素晴らしさだけではなく、実は同じように何らかの事情で右手が使えなくなった人たちが作った、膨大な量の左手のための楽譜の存在でした。館野さんの前に、既に道は備えられ、整えられていたのでした。
 さて、今日与えられたテキストは、洗礼者ヨハネの言葉です。ヨハネは神さまからの使命を受けて、水でバプテスマを授けるということを淡々と行いました。それは悔い改めのための大切な意味を持っておりました。だからこそイエスもまたヨハネから洗礼を受けられたのです。
 けれども、ヨハネは自分の行為それ自体は神様からの使命ではあるけれども、更に後から来られる方を証しするための行為であることをはっきり宣言しました。ヨハネ福音書には記されていませんが、後の3つの福音書には、自分は水で洗礼を授けるが、自分より後から来られる方は聖霊と火で洗礼を授けられると語ったことが記録されています。
 ヨハネは誠実に自分に与えられた使命を果たした訳ですが、その使命は自分で完結することではなくて、後から来られる方の業を指し示し、そこにこそ更なる希望があると明言したのです。
 以来、私たちもこの行為を記念し、大切に覚えるために、洗礼を教会の大きな業としています。けれどもそれは、単にクリスチャンとなるため、教会員に加えられるための儀式ではないのです。ヨハネが証ししたように、水で洗礼を受けながら、同時に聖霊と火で洗礼を授けて下さる方を待ち望む事、神様が下さる次の業を期待し、信じる事を言うのです。洗礼を受けるとは、ですから決してゴールではなく、あくまでもスタートである訳です。
 1907年、明治40年に救世軍の創立者であるウィリアム・ブース大将が来日して、京都を訪れました。京都ホテルで記者会見が行われ、一人の記者が「あなたは仏教について、どうお考えになりますか?」と質問しました。ブースはこれに対してこう答えたそうです。
 「仏教でも何でも、すべてその与えられた光に忠実に歩む者は神のみ心に叶ったものです。ただ現在与えられた光に忠実な者は、更に大いなる光を与えられる者であると私は信じています。」
 かつてイエスは語られました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」と。今日のテキストと同じヨハネによる福音書12章に記されている言葉です。これはそもそもイエスご自身の事を指して語られた言葉です。ご自分がかかられる十字架上の死の事を暗示されている訳です。これはおいそれと誰でもできることではありません。
 ですが、命そのものを犠牲にするなどという、そこまで話を大きくしないなら、誰にも通じる事だと思うのです。自分自身を捨てた時に咲く花があるということです。後から来る者に委ねる事をしないで、俺が、自分がと言い募っているうちは、きっと何も始まらないのです。
 館野泉さんは、右手が動かなくなった時点で、大いに苦しみました。敢えて言えばそこで一旦死んだのです。けれど左手でやろうと決意して、そこに花が咲きました。誠に、人が花を咲かすのは、その人が置かれたその場所においてであると言えます。
 ヨハネは、水で洗礼を授けることによって、後に来る人を証ししました。彼自身が立ち上がる事もできないことではなかったでしょう。が、それをしませんでした。その意味で自分を殺して、彼の今に徹したのです。後に預言どおりやって来た主イエスを通して、ヨハネの花が咲きました。
 この兵庫県の曽根で農村伝道に生きた石田英夫という牧師がいました。私にとっては鳥取大学農学部と同志社両方の先輩になります。彼は貧しさの故もあって次々と子どもを失う悲哀を味わいましたが、懸命に踏みとどまって短い人生を終えました。そのところで出会いを与えられた一人が種谷俊一さんでした。その後種谷さんは牧師となって、また別の一人の青年を助けました。その青年がまた牧師となり、北海道で働いています。(柴田もゆるさん)
 今、ここに、自分には見えない花があります。でもそれを育て、用いられる方によって、別のところで、違う時に思わぬ形で咲く花であるのです。いつになったら暖かくなるのか、その季節の只中にあっては、姿を想像することもできない春の種があります。けれども、今どこかでその時に花を咲かせるべく備えの時をじっと待っている。諦めず、私たちの祈りがそこに加えられる事を信じ期待して待ちたいと思うのです。


 天の神さま、私たちはすべてを見通すことができない貧しく小さな器ですが、あなたは一切を見通され、貧しい私たちを用いて、それぞれの花を咲かせて下さいます。感謝です。あなたのみ業を信じて待つ者として下さい。


 
 
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