20160327 『ミッション・インポッシブル・イースター』 マタイによる福音書 28:1〜10
 

イースターの今日、ちょっと社会の勉強をしたいと思います。NHK人気朝ドラ「あさが来た」も今週いっぱいで終了となります。女性の地位向上のために大きな働きをなした主人公でした。びっくりポンという言葉が流行りました。参政権という言葉を皆さんご存知のことでしょう。学校で習ったと思いますが、ただ普段はあまり使わない言葉ですね。参政権というのは、政治に参加する権利、議員を選んだり、選ばれたりする権利、政治の集団を作り、参加する権利などのことを言う訳です。日本では20歳になると、この権利が与えられます。それが今年の夏の参院選から18歳に引き下げられたのでした。選挙があると、投票に行く訳です。でも、投票に行くのは余りにも当たり前で、この権利は誰にも与えられていますから、参政権とか投票権という言葉を、普段は滅多に使わないんですね。
 で、質問です。この参政権が与えられたのは、いつでしょうか?明治時代でしょうか?それとも大正時代でしょうか?それとも昭和時代でしょうか?
 答えは1925年(大正14年)です。それまでは貴族とか一部のエライ人だけが参政権を持っていて、議員になりたくても普通の人はなれない。この人を議員にしたくても、投票することができなかったんです。それが1925年にみんなに参政権が与えられました。まだ100年も経っていないんですね。ただし、この時の参政権は実は男性だけに与えられたものでした。
 それはおかしいじゃないか、どうして女性には参政権が与えられないんだ?という事で、心ある婦人たちが運動を起こしました。でも、それは国を不安定にする運動だということで、関わった人たちが大勢逮捕されました。弾圧されました。女のくせに生意気だ、とか女は黙って家で仕事していろとか、今では考えられない差別的な意見が大手をふるっていました。
 そして戦争が終わった1945年(昭和20年)ついに女性にも参政権が与えられたのです。ですから、実はまだたった71年しか経っていないんですね。で、こんな遅れたところは世界で日本だけかと思いきや、もともと18世紀末の革命で、世界で初めて普通選挙が行われたフランスでさえも、女性に参政権が与えられたのが日本と同じこの1945年なんです。びっくりぽんですよ。
 ちなみに女性に参政権を世界で初めて与えたのはニュージーランドで1893年のことでした。それからオーストラリアや北欧の国が続き、アメリカが1920年でした。あのスイスですら1971年だし、イラクやクェートに至っては、それこそついこの間2007年なんです。調べてみて、本当びっくりしました。
 それくらい、女性の地位は長い間低かったのです。まして2000年前のイエスの時代、イスラエルではそうした参政権はおろか、今だったら本当に当たり前の人間として生きる様々な権利が、全くなかったと言っていいほどのひどい状態だったのです。女性は男性のものであり、都合良く使える道具のような存在でした。
 イエスが十字架刑で亡くなられた時、最後までそれを見届けたのは誰だったでしょうか?知っての通り、弟子たちは自分たちも捕まる事を恐れて、みんな逃げ出してしまっていました。マタイによる福音書の27章55節からに、こう記されています。「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」
 12弟子たちだけがイエスの伝道の働きを助けたのではなく、その旅には大勢の女性たちが従って、日々の生活の支えをしていた、それがなかったらイエスの伝道の旅は成り立たなかったのです。この婦人たちが十字架の最後までを看取りました。
 更に、61節には「マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた」とあり、イエスの遺体が墓に葬られた後になっても、悲しみと寂しさと心配で、そこを離れがたく、なお付き従っていたことが分かります。
 そして、復活の日の朝を迎えました。イエスが亡くなったのは安息日の前日、金曜でした。あくる日土曜は、安息日、この日は活動的なことは何もしてはいけないというのが当時の定めでしたから、婦人たちはイエスの遺体に何もしてあげられない悲しみをぐっと堪えてこの一日を過したのです。他の福音書と合わせ読んで見ると、せめてこれだけはと香料や香油だけこの日のうちに準備をしていたとあります。当時のイスラエルでは遺体にそれらを塗るのが、死者への礼儀でした。
 さあ、ようやく安息日が終わりました。マリアら婦人たちは、もう夜が明けるとても朝早くから、香油などを携えて墓に向かいました。いてもたってもいられなかったのです。そしてこの婦人たちに一番先に主の復活が伝えられたのでした。その時、地震が沸き起こり、墓の石がわきに転がり、その上に天使が現われたと表現されています。その光景を見た番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになったとありますから、確かに彼らにとってそれはあり得ない恐怖そのものの出来事だったのでしょう。でも普段から女性の上に立って、威張り散らしていた男性としては、ちょっとこっけいで情けない有様ですね。
 でも婦人たちは違いました。彼女たちも初めての体験で怖いのは怖かった。けれどもイエスが復活された喜びのほうが、はるかに大きかったのです。今日のテキスト8節には「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」とあります。どんなにか嬉しく、喜びでいっぱいの出来事だったのです。
 こうして聖書は、当時男性の付属物でしかなかった女性に、最初にイエスの復活が伝えられたことを記しています。差別され、片隅に隠されていたかのような存在の女性たちこそ、復活の最初の証人として選ばれ、用いられたのです。思えばイエスの誕生の際には、その最初の証人として、同じように当時社会から忘れられたような貧しい羊飼いたちが選ばれました。そして復活の際には、今度は女性たちであったのです。
 ここにこそ、救い主の意味が、神さまの思いが如実に示されています。イエスは確かに復活された、しかし一人で復活されたのではなく、その時それまで死人でいたも同然の、人間扱いをされなかった人々も一緒に復活に預かったのです。それこそが復活の大きな意味でした。凄い事、素晴らしいことではありませんか!
 気の遠くなるような長い時間をかけ、またつらく厳しい数多くの戦いがなされて、女性に参政権が与えられました。まだ100年も経たないわずかちょっと前のことです。けれど、すっかり当たり前のことのようになっています。このことだけではなく、他のことも同じです。不況と言われながらも、色んな便利な道具を持ち、豊かな時代の中で私たちは生きていますけど、でも何だか本当の生きがいを失っている。心を奪われているように感じてなりません。物質文明に騙され、様々なマニュアルが作られ、借り物のレールの上を、飼い慣らされて、おかしいことをおかしいとも思わず漫然と過している現代の私たちではないでしょうか。感覚が鈍っているのでしょう。
 主の復活の出来事は、そんな私たちの目を覚ます衝撃の出来事だったと思います。それぞれの心を打ち震わす出来事、良い意味で私たちのありのままの、裸の心、野性を取り戻すための出来事だったのではないでしょうか。目覚めよ、野性!誰かに言われてではなく、この世の流行に乗ってでもなく、自分の五感によって、復活の出来事を味わいたいと思います。そしてそれを普段の生活の中で、生かしたいと思います。ミッション・インポッシブル・イースター。不可能な使命と思われたものが、いつか実現して行くことを私たちはイエスの復活を通して知らされるのです。

 天の神さま、あなたがまずはどういう人たちを心に留められたかを、復活によって知らされました。ありがとうございます。私たち、心を尽くし、思いを尽くしてあなたのみ心に応えて行きます。どうぞ一人一人の感性を研ぎ澄まし、よく用いて下さい。




 
 
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