20160515 『 ニンジンには釣られない 』 使徒言行録 1:1〜11
 

「小人閑居して不善をなす」という言葉があります。広辞苑によると「器量の小さい人は、暇でいると、ついよくないことをする、と書いてあります。これは子育てを振り返ると大抵そうなんで、子どもたちが兄弟喧嘩を始めるのは、大抵どっちかが暇か、或いは両方暇な時でしたね。
 昇天日について少し振り返ります。イエスが天に昇られた後、弟子たちは「大喜び」でエルサレムに帰ったとルカ福音書は記していました。今日は使徒言行録を読みましたが、この1章でも再び昇天の出来事が記されています。ところが、使徒言行録の方では、弟子たちが大喜びでエルサレムに戻ったとは書かれていないんです。残念ながら、どうやらその「大喜び」は持続しなかったようです。
 1章12節からを少し読んでみると、使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。
 こんなふうに綴られているのです。安息日に歩いて良い距離とは、およそ880メートル、まあ大雑把に言えば1キロほどでした。イエスが昇天なさった山は、エルサレムに近い場所で、安息日にも歩いて行ける、歩いてゆく事が許される場所だった、とわざわざ書かれているのです。イエス亡き後、律法を守るならば、安息日であっても堂々とそこへ行く事ができた、実際弟子たちはそこへ行ったのだろうと想像させられる記述です。
 更に、エルサレムに泊まっていた家の上の部屋に上がった、と云います。それはユダを除いた11人の弟子だったとあるのです。この記事がまた、わざわざ何なのかと思うのです。エルサレムは彼らにとって危険な場所でした。下の部屋では、いきなり当局に踏み込まれると警戒したのでしょうか、それで2階の部屋に隠れていたのかと想像させられるのです。ですからこの短い文章から、昇天の後、弟子たちが大喜びの状態を続けることができなかった事が推測されるのです。少なくとも、喜びの一方で恐れが彼らを包んでいました。
 続く14節には、彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた、とあるので、彼らがただ不安や恐怖だけに身をちじめていたのでは決してなかったのでしょう。けれど、使徒言行録もルカが記したものです。同じ人が同じ出来事を記したにしては、二つの記事にはかなり隔たりがあるように感じられます。
 でも、それは当然の事だったでしょう。確かに彼らはイエスの昇天の折には、大きな喜びに満たされました。励まされ、力も沸き、勇気や希望を与えられたことでしょう。ただ、残念ながら、その喜びはいつまでも同じようには持続しなかったのです。約束の聖霊がいつ与えられるか分からなかったからです。しばらく時が経ってみると、やはり彼らにとっては、当面の危機、すなわちローマ当局や律法学者、ファリサイ派の連中からの攻撃や迫害の方がずっと日常生活における緊急課題であった訳です。
イエスの昇天から10日後に約束の聖霊が与えられました。それが今日ペンテコステの出来事です。が、それは結果を知る私たちには分かっていることでも、弟子たちにはそれがいつ与えられるか何も分かっていなかったのです。
 熱心に祈る生活を続けていたとは言え、そこは隠れ家であり、そこに集まっていたのは皆身内であったのです。彼らが小人だったとは言いません。けれども、恐れを抱きつつ、ひたすら篭って暮らす日々の中では、どうしてもすべてが内向きにならざるを得なかっただろうと思うのです。息の詰まるような状況に置かれ、一刻も早くその事態が打開されるものを祈り求めたことでしょう。約束の聖霊よりも、今即効性のある解決策が欲しいと皆、思ったに違いありません。兄弟喧嘩の均衡がついに破れて、仕方なく親に救いを求めるようなものですが、無理もありませんでした。
 ただ思うに、夫婦喧嘩だけではなく、兄弟喧嘩もまた、第三者から見れば、犬も食わない代物です。そこで争われる事はあくまでも二人の問題に過ぎません。使われる言葉も彼らだけのもので、周囲の者にとって理解しがたいものです。親が仲介するとしても、かなりアホ臭いのです。間に入ることは疲れます。
 もちろん、それは喧嘩の話だけではないのです。内向き、内輪のみの集団では、そこで使われる言葉は言うまでもなく、思想や思考も同じであって、外への広がりはありません。政党を見ても、官僚を見てもそうではないですか。宗教も同じです。かつてオウム真理教がしでかした事もそうでした。自分たちだけの言葉を使い、自分たちだけの世界にどっぷりと浸かるのです。そこでは自分たちだけの言葉を使うことが、かえって優越感を持ったり、幸福感を増す事なのです。例えばタレントや芸能人が、ハワイの事をワイハと言って、いかにも業界通然としているのと変らないのです。
 そんな彼らに、とうとう約束の聖霊が与えられました。今日のテキストです。それは喧嘩に対する神様の仲介ではありませんでした。そうではなく一人一人を解放する力が与えられたのでした。4節にこうあります。「すると彼らは、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」、こう言うのです。これは一体、何を意味していたのでしょうか。
 恐れ、隠れて、内向きな一つの集団の中で、滅多な事は言えない、自由に何かをなすことも憚れる、あれもこれも自制し、自粛していた、そんな彼らの生活が破られ、言わば自ら閉ざしていた封印が解かれた、開かれたということではなかったでしょうか。
 もはや、押さえは必要なくなったのです。外に向いて、自由になって良いのです。新しい事を求めて構わないのです。誰がどんな思いを持ち、それをどのように表現するも行動するも、その人次第、神様に与えられた命を存分に用いて良いとされたのです。それが、霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出した、ということだったのです。
 しかしそれは決してバラバラにされたという事ではありませんでした。それぞれが違うからこそ、互いにそれを聞き合い、受け合い、認め合うという思いやりが生まれてゆくからです。違うのに無理やり閉じ込められ、同じ言葉を使い、一つの方向に向わされる場所では、他者を思いやる気持ちなど沸かないでしょう。
 ペンテコステは、異なる言葉を持つ人々が共にいる事を公に表す出来事なのでした。やる気のない馬に奮発させるのに、鼻面にニンジンをぶらさげてムチを入れるマンガがあります。そういう一時しのぎが必要な時もあるかもしれません。でも聖霊は、ニンジンではないのです。ニンジンに釣られないで頼らないで生きてゆくための力なのです。課題に対してどうにも打開策が見えないと、私たちはつい手近な、即効性のある安易な力に頼ろうとしてしまいます。手っ取り早いのはお金です。しかしわずかなお金をばらまいても、貰ってもしようがないのです。もし力となるとしても、やはり限られた一時に過ぎないのです。
 そうではなく、聖霊降臨は、異なる言語、違う思いを共にするものとして与えられました。それは姿を消されたイエスの、見えなくても一緒に生きる、持続する力でした。それが教会の誕生だったのです。教会はその始めから、違う人々が共にいる場所として、続く場所として誕生しました。一つのやり方を一方的に、強圧的に押し付けるところではないのです。例え、少々時間がかかったとしても、軋轢があったとしても、違う響きを大切にしながら共に進むのです。「見よ、兄弟、姉妹がともに座っている。何という恵み、何という喜び」と詩編(133篇)は歌いました。私たちはニンジンに釣られませんし頼りません。聖霊により頼みます。

天の神様、聖霊をありがとうございます。聖霊の風に吹かれ、満たされて、私たち共に歩んで参ります。それぞれの違いを大切にしながら、喜びをもって、託された業に励みます。一人一人を祝して下さい。

 
 
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