20160626  『 そうか、もう君はいないのか? 』 使徒言行録 9:36〜43
 

作家の城山三郎さんが79歳で亡くなられてから、もう8年が経ちます。私は8年前に大腸がんを患いました。その時初めて「死」について考えました。城山さんは「落日燃ゆ」などの社会派小説家として大きな足跡を残された方ですが、彼は学生時代に一ツ橋大学の学生YMCAのメンバーで、洗礼も受けていた、私にとって学Yの先輩でした。作家として専念する前は名古屋の金城学院でも教鞭を取っておられた時期がありました。
 その城山さんの最後の本として遺稿集が「そうか、もう君はいないのか」という題で出版され、相応に売れました。読んだ方もおられるでしょう。私も8年前に読んだのです。本の帯には「50億の中でただ一人おいと呼べる妻へ」と書かれていて、この本は城山さんよりも7年早くガンで召された最愛の妻、容子さんへの思いが城山さんの半生記として綴られた本なのでした。
 名古屋の図書館で運命の出会いをして結婚して以来、城山さんは奥さんのことを「パイロット・フィッシュ」と呼んで、自分のすべてを預けた生活を送りました。作家としての活動を除けば、彼は容子さんがいなければ例えば着替え一つできない人であったそうです。
 そういう夫婦のありようについてはともかくとして、この本には容子さんへの愛が満ちています。悲しみのあまり葬儀さえ拒否し、思いでが詰まった家に住めなくなって仕事場に住みこんだ城山さんの深い慟哭を受け取ります。城山さんの娘さんは「父は母が先に逝った7年、半身をもがれたような生活を送った」と書いています。もういない妻に向って、ふと、呼びかけてしまうのです。そして、いないことに気づく時の言葉にならない思いを想像します。城山さんがガンを患った妻を想い書いた詩がこうです。
「夜更け目覚めると不気味に規則的な目覚まし時計の秒針の音
 ふと傍らを見ると聞き慣れた規則的な寝息
 ほっと安心し、その背中を見つめ 再び眠りにつく
 50億の中でただ一人「おい」と呼べる人の眠りを妨げないように、静かに、感謝をしながら・・・」
 これは泣けます。誠実な夫婦愛の一つの形として、命の重さや尊さを改めて示されるのです。
 さて、今日与えられたテキストは、ペトロがタビタという女性を生き返らせたという出来事が記されていました。聖書の後ろについている10番の地図をちょっと見て下さい。
 地中海沿いの真ん中あたりにヤッファという町があります。更にその右下にリダという町があります。ペトロがこのリダという町に来ていた時のことです。ヤッファにタビタという女性が住んでおりました。タビタとはアラム語の名前で、ギリシャ語で言うとドルカス、かもしかという意味の名前でした。36節に婦人の弟子とありますので、彼女は既に一クリスチャンであっただけではなく、女性としてこの地の教会の中で大きな存在だったであろうと思われます。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた、とも続けられています。
 このタビタが病気になって死に、安置されたのです。この時ちょうどリダの町にペトロが来ている事を聞いた他の弟子たちが、二人の者を使いに出して「急いで来て欲しい」と願い出たのです。
 先ほどの地図で見たように、ヤッファとリダは近いようですが、実際は20キロは離れています。その距離にも拘らず、弟子たちが緊急にペトロを呼んだことにも、タビタの働きの大きさと、彼女を失った事態の深刻さがよく現れています。
 この要請を受けてただちにペトロはやって来ました。そしてその祈りの結果、タビタは生き返るのです。この出来事が本当だったか、本当だとしたら、どのように受け入れたら良いか、それは私たちの第一の関心ではありません。大事なのは、ペトロの祈りが受け入れられたこと、その中身なのです。
 急を聞きつけて、早速やって来たペトロが、案内されて目の当たりにしたもの、それこそが今日のテキストの中で一番大きなものでした。39節にこうあります。「ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいた時に作ってくれた数々の下着や上着を見せた。」
 遺体の周りに集まって来たのは、やもめたちでした。当時のやもめがどんな環境にいたかは、ご承知の通りです。現在とは比較にならないほど女性の地位は低かったのです。何らかの事情で夫と別れた、死別した、その途端に世間から神さまの祝福から漏れた存在とみなされるのです。
 ですから多くの場合は、生きてゆくために再婚しました。それをせず、やもめを通したとすれば、よほどの事情があったのでしょう。ある人は、最初の夫との絆を守ったのでしょう。またある人は男性との生活に疲れたということもあったでしょう。或いはある人は自身病気や高齢となって、再婚などできないという人もいたでしょう。やもめとひとくくりで言いますが、言うに言われぬ事情を抱え社会の片隅で貧しく、つましく生きていた女性たちだったのです。
 そんな女性たちが、その日初めて会ったであろうペトロのそばに泣きながらやって来た、と言うのです。すがったのです。そしてタビタが生前、彼女たちのために作った数々の下着や上着を見せたのです。
 女性たちにとって、下着や上着は乏しい生活の中で、最もみじかな物でした。わざわざ数々のとありますから、相当な量であったでしょう。それらを共に作り、プレゼントしてくれたタビタ。一緒にその時を過した折、彼女からつらい生活を励ます言葉をも同時に送られたに違いないのです。どこにも力を見出せない彼女たちにとって、このタビタの元に集まり、縫い物をしながら過したひとときは、かけがえのない平安の時だったのです。
 ちなみに、教会で縫い物の会をする時、タビタの会とかドルカスの会とか名前がつけられているのはこの出来事によります。もう一つちなみに、ちょっと前日本の女子大生らが落書きをして騒がれたイタリア・フィレンツェのサンタマリア聖堂には、このタビタの物語の絵が飾られています。
 この哀れな女性たちの胸がはりさけんばかりの嘆き悲しみをペトロは目の当たりにしたのでした。その途絶えぬ涙とタビタのまごころの証しであった下着や上着を見て雷に打たれたような命の衝撃を受けたのです。心から同情の思いを抱いたのでした。そうしてどうにかして欲しいと腹の底から願ったのでしょう。その願いを神は聞かれたのです。
 タビタが亡くなって、もう一切の希望を失ってしまった女性たちの慟哭を神は確かに聞かれました。そしてよみがえりの力をペトロに与えたのです。もう一度新しく生きる力として、この出来事が与えられたのです。
 もう一度言いますが、この出来事が本当だったか、科学的にどうこうだったか、それはここで問題ではありません。この出来事が記されたのは、神の哀れみと愛の証しのためです。神さまは私たちを絶望のままにはされない方で、新しく生きるための力を惜しみなく注がれる方であるということが書かれているのです。
 「そうか、もう君はいないのか」ちょっと聞くと、城山さんの言葉は空しさのようにも聞こえる寂しい言葉です。もちろん本当に寂しかったことでしょう。でも若い頃洗礼を受けた城山さんです。それは寂しさのつぶやきだけでは決してなく、見えなくてもそこにあり、また何時の日か与えられる再会の確信、或いは確認の言葉でもあったろうと信じるものです。私はこの言葉の語尾は下がったものではなく、上がっていたものと思っています。
 私たちにとって、死は別れではあっても、すべての終わりではありません。神はいっときだけ、気が向いた時だけ私たちに目を向けられる方ではないのです。途絶えることなく、常に哀れみと愛の視線を注ぎ続けて下さる方です。イエスの人生を通してそれが証しされました。それを信じたペトロたちに、それは引き継がれ、タビタのドラマが生まれた。そして今、私たちにもそのドラマが引き継がれたのです。
 
天の神さま、深い慈しみに感謝します。すべてを委ねて、歩んで参ります。なお私たちを憐れみ、豊かに導いて下さい。

 
 
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