復活節 第2主日礼拝 No.3
2023年4月16日(日)午前10時45分
前 奏                奏楽者
招 詞 93-1-44 司会者
讃美歌 287 ナザレの村里 1,3,5    一 同
交読詩編 16:1〜11 (p.20)     一 同
主の祈り 93-5B(4月)        一 同
聖 書 ルカによる福音書 24:13~35 司会者
(新約p.160)
牧会祈祷               牧 師
讃美歌 334 よみがえりの日に 1,2,3 一 同
説 教 『 キリストは対話の中に来ておられ 』
祈 り                春名康範 牧師
讃美歌 444 気づかせてください 1,2,3 一 同
献 金                 一 同
感 謝 祈り              当 番
頌 栄 29 (4月) 天のみ民も     一 同
派遣・祝祷               牧 師
後 奏                 奏楽者
報 告                 司会者

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《本日の説教要旨》
イエス様が復活された日、2人の弟子がエルサレムから60スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら朝の出来事について話し合っていると復活されたイエス様近づいて来こられて、ご自身の復活について記されてある聖書の解き明かしをされたとルカによる福音書は記録しています。

14節の「話し合っていた」はホミレオーという単語でホミロス(群衆)が語源でワイワイと話していた。15節の「論じ合っている」はスゼーテオーで「共に捜し求める」という意味。16節の「やり取りしている」はスンティバレーテで「対立して投げ合う」という意味。17節の「言われた」は、エイポンで呼びかけるという意味、23節の「言うのです」はレゴーで意味内容を主に話すことを意味し、27節の「説明された」はディエルメーネオー、32節の「話しておられる」はラレオーで音声を主とする話すという意味、35節の「話した」はエクセーゲオーマイは「説明した」という意味です。

今、日本基督教団の教会は崩壊状態です。一番の原因はコロナウイルスだと思いますが、「時の徴」という冊子に小海基という人が、会議制と言いながら議員候補の全数連記制による常議員選挙で仲間だけを教団常議員に選び異なる意見を聞こうとしない現実が招いた結果ではないかと訴えています。

大きな試練や先の見えない時、大事なのは「対話」をすることです。ボルノーは「対話とは、もしかすると自分の方が間違っていたかもしれないという可能性を常に残して相手の言うことを聞くことである」と言いました。今でも話し合う「対話」の中にイエス様は来ておられます。教会の中の人だけと話し合うのではなく、外の人とも話すことが大事です。