《説教要旨》『主の道を整え』 大澤 宣 牧師
マルコによる福音書 1章1~8節
NHKの番組で、アフガニスタンで医師として働かれました中村哲さんのことが紹介されていました。2019年12月4日に、73歳で地上の命を終えられた中村哲さんは、キリスト者として、平和の尊さ、命の大切さを語り続けてこられました。そのご生涯は、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」という、聖書のみ言葉を身をもって表し、その実現を指し示すものであることを思わされます。
イエス・キリストの先駆けといわれたバプテスマのヨハネは、「神の民」とされていたユダヤ人にも悔い改めの洗礼を受けるようにと呼びかけました。罪のない人間はいないのだと語り、すべての人が、心の向きを変え、神様に向かうことの大切さを告げたのです。
イエス・キリストは、マタイによる福音書で、「茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」(7:16~17)と語られました。人間の中に良いものがあれば、その人は良い実を結ぶはずですが、人間は良い実を結ぶことのできない悪いものであるので、神様の前に心を入れ替えて、悔い改めにふさわしい実を結ぶようにと告げられるのです。
いろいろなことに関心を持ちながらも、行動できないのが私たちです。ヨハネによる福音書でイエスは語られました。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(15:5)私たちがイエス・キリストにつながることによって、良い実を結ぶことのできる枝になるということです。
蟻の町のマリアと呼ばれた北原怜子さんは、戦後の混乱の中で、懸命に働く人々の中に住まれ、人々が心の中に明るさを取り戻していくことができるように努めました。それは、あわれみの心からではなく、貧しさの中に人間の真の生き方を求めようとしたものでした。
何かができればよいということではありません。ひとりの人が、そこにおられる。そこで祈りをささげておられる。そのことが何にもまして尊いことなのです。
クリスマスにお生まれになられたイエス・キリストが、わたしたちの罪の赦しのためにご自身を十字架の上にささげてくださいました。キリストの愛につながることによって、わたしたちが心の向きを変えることができる。それぞれの愛する生活が生まれることを心に留めたいと思います。