《説教要旨》『見つけ喜んでくださる』 兵庫松本通教会 寺崎 真 牧師
ルカによる福音書 15章1~10節
兵庫教区の礼拝交流で東神戸教会の皆さまと主日礼拝を共に出来ますこと感謝です。
今日与えられました聖書は、イエスさまが話された、たとえ話です。イエスさまを取り囲んでいる人々のところに徴税人や罪人が近寄って来る。それを見ていたファリサイ派の人々や律法学者たちは黙っていられない。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」という同じような言葉。イエスさまが罪人たちと食事をするという場面が思い出され、蒸し返される。罪人と交わりを持つ人に神の国のことを語れるはずない。彼らは旧約時代からの律法を遵守して来た。罪人とされる人を自分たちと同じ社会に置くことも、その人々と交わりを持つイエスさまも受け入れることができず、批判し不平を言った。それに対してイエスさまが2つのたとえを語られる。1つ目は見失った羊のたとえ。99匹を置いて迷い出た1匹を探しに行く失われたものへの心配と愛着を感じる。もう1つは無くした1枚の銀貨を探すたとえ。1枚の銀貨をともし火をつけて捜す。ルカ福音書の貧しい人や女性を大切に語るという特徴があらわれている。「見つけ出すまで探す」は、別訳では「跡をたどって捜しに行く」と訳される。
教会生活に陰りが見え、神さまのみ言葉が聞けなくなった時があったことを思い出す。その私を神さまは教会へと連れ戻してくださった。主は見つけて1人で帰って行きなさいと言われるのではなく、ご自分の肩に乗せて担いで、教会へと連れ帰ってくださる。だからその主に委ねることができる。神さま自らが見つけ出し救ってくださる。徴税人と罪人という当時の社会で軽蔑されていた人々を受け入れられる主イエスの姿を見る。イエスさまがこの世に来てくださった意味が語られている。悔い改めとは主イエスに見つけられ、主イエスのもとに戻ること。私たちの側からは主を受け入れること。罪人が悔い改めて主のもとに帰ったことを祝って開かれる喜びに満ちた盛大な祝宴、失われていたものが見つかった時に起こる大きな喜びがある。跡をたどって探し、見つけ出し、喜んでくださる主がおられる。その主を受け入れ、感謝の中で日々の歩みを共に歩んでいきましょう。