《説教要旨》『共に歩まれるイエス』 大澤 宣 牧師
マルコによる福音書 9章2~10節
《娘へ》「明日も公園へ行こう。明日で世界が終わるとしても、一緒に公園へ行って遊ぼう」
宮崎県の女性は、東日本大震災を思いながら、明日で世界が終わるとしても、一緒に公園へ行って遊ぼう、そう娘さんに語りかけられたのでした。(福井県丸岡町「一筆啓上賞」)
東日本大震災から15年の時を迎えました。多くの方の命が失われ、行方不明の方がおられます。復興は進められていますが、原発事故で帰還困難区域とされ、自宅に帰れない方たちがおられます。厳しい現実の中で、希望が持てない人たちがおられます。
作家の梨木香歩さんは、石巻市住吉町に住まれる方の言葉に触れました。「みんな『がんばろう』というから、つい〈生くる力いまやなし〉と口ずさんでしまいます。『懐かしのバージニア』の歌詞。家に帰りたい。後は何の望みもありません」。『懐かしのバージニア』の別の訳「ついに帰らば 再び去らん日はあらじ」と口ずさめる日を願われました。(『3.11を心に刻んで』)
希望が持てない現実の中に、なお新しい歩みが備えられていることを聖書の言葉から示されます。イエス・キリストと3人の弟子たちは、山に登り、イエスは光り輝く姿になられたのです。イエスが十字架につけられるという受難の歩みをすすめられる中での出来事でした。不安になって、希望を失いそうになっている弟子たちでしたが、光り輝くイエスの姿が示され、この世の苦難を超える復活の希望が示されたのでした。
「明日で世界が終わるとしても、一緒に公園へ行って遊ぼう」。これは「たとえ明日この世界が滅びることを知っていても、私は、それでもなお、今日、リンゴの若木を植えるだろう」から着想を得たものだと思います。希望が持ちにくいこの世にあって、か弱さをもち、しかし、愛らしさ、明るさをもつ言葉は、希望に生きる力強さを持っています。
私たちの弱さを担って十字架を負ってくださるキリストが、私たちと同じ姿になって、共に歩んでくださることを信じてまいりたいと願います。