《説教要旨》『荒れ地に川が流れる』 大澤 宣 牧師
イザヤ書 35章1~10節
受難節の中、すべての悲しみ、痛みを神様が知っていてくださることを信じたいと思います。主のみ苦しみを覚え、復活の主が導いてくださることに心を向けたいと思います。
1955年、今井正監督による『ここに泉あり』という映画が作られました。戦後間もなく活動を始めた群馬交響楽団の働きを題材にしたものです。国土も人の心も荒廃していた時代、音楽を通して人の心に潤いを取り戻そうとする働きでしたが、楽団の運営は困難を極めました。挫折を味わいながら、人々との出会いに励まされ、荒れ野のような街や村に、荒廃した人の心に「ここに泉あり」と呼びかける働きの困難と喜びが描かれています。
イザヤ書は、「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ、砂漠よ、喜び、花を咲かせよ」、また、「荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる」と語ります。紀元前6世紀、イスラエルの人々がバビロニアに連れて行かれた、バビロン捕囚という壊滅的な出来事から回復されていくことが告げられるのです。
その第一番のことは、人々から置いていかれそうになっている人たちが、まず真ん中にされ、元気を取り戻して行くことだといわれるのです。
マタイ福音書11章では、イエスがガリラヤで働いておられたとき、洗礼者ヨハネが、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねています。その時、イエスは、世の中からはじき出され、置き去りにされそうになっている人たちの中に一緒に立っておられる姿を示されました。
神様から命を与えられた一人ひとりであることを忘れ、自分が大きくなることばかりを考えている、そのような思いが、イエスを十字架へと追い立てたのではないかと思わされます。
この時代の中で、荒れ野に湧き出る泉を求めて、一人ひとりが大切にされる歩みを求めていきたいと願います。