《説教要旨》 
『命の水の流れ』 大澤 宣 牧師
ヨハネによる福音書7:32~39

 ペンテコステの前の日曜日からアジア・エキュメニカル週間が始まります。政治や文化、歴史の違い、また教派の違いを超えて、アジアの教会が互いに協力し合い、平和を祈るという日です。私たちも、祈り合い、共に生きる思いを新たにしたいと願います。

 イエスは、人に出会われ、病をいやされ、心や体にハンディを持つ人、悩みと悲しみを抱えた人たちを慰め、励まされました。そのイエスの働きに、人々は、喜び、言葉と業の確かさを実感したのです。ところが、そのようなイエスのことをよく思わない人たちがいました。自分たちこそが権威をもち、すぐれたものであるものだと考えなければならないという人たちでした。

 宗教というものは、そういう面をもっているかもしれません。自分が信じているものこそが絶対で正しいものであると信じるのですが、そう信じている私自身は絶対に正しいものなどではないはずです。かたくなになるのではなく、立場の違いを認め合い、優劣をつけないこと。一方的な関係ではなく、お互いに支え合う関係というものを大切にしたいと思います。

 大山崎に大阪水上隣保館というところがあります。大阪港で船で生活していた子どもたちの安全を守るための施設でしたが、今、さまざまな事情の中にある子どもたちが生活する場、高齢の方たちの生活の場、福祉の専門家を育てる学校など、多くの働きをしておられます。

 この働きを続けてこられた中村八重子さんが印象的な出来事を語っておられました。水上隣保館で生活していたある少年は、多くの問題を引き起こしていました。隣保館を出る日、「あんたは人に迷惑かけない意地を通せるやろか」と八重子さんから声をかけられた少年は、「意地をはりとおしたる」と発奮させられたのでした。修業を積んで職人になったその人は、八重子さんから頼りにされる人になっていったのでした。八重子さんは、心配しながら、祈りながら、神様の御手に委ね、信じていったのでした。

 母の日と呼ばれる日曜日です。心配し、祈り、神様の御手に委ねていく思い、その思いの中で人は育てられていくことを思います。心をかたくなにするのではなく、命の水の流れのような、柔軟な心のあり方を大切にしていきたいと願います。