《説教要旨》 『信じる者の願い』 大澤 宣 牧師

ヨハネによる福音書14:8~17

韓国に「天が崩れても、這い出られる穴はあるものだ」という言葉があるそうです。絶望的な状態の中にあっても、なおそこに希望を見出そうという粘り強さを感じさせられます。この言葉を紹介しておられた神学者の安炳茂(アンビョンム)さんは、聖書が示す希望は、神様の御心をたずねて、何事かをなそうとする思いに結びつけて読む時、その意味を知ることができるのではないか言われ、こう語られました。「イエスの絶望的最後は、決断の行為がもたらしたものであり、彼は死の前にあってもなお、死それ自体にとらわれないで対決した。絶望した弟子たちにとっての復活の経験は、絶望への途から信仰への途へと立ったことと切り離すことはできない。『自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい』という言葉を、彼ら自身の前途における座右の銘とした」。

イエスは、「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしの行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる」(12節)と言われます。イエスを信じる者は、イエスの行われる業を行うということです。イエスが十字架の死という絶望に向かって進んで行かれる中で、なおそこに復活という新しい展開を生み出す歩みがあるということを示されて、それぞれの困難に満ちた歩みの中で、なお、希望に裏打ちされた新しい歩みへと進んでいく、その導きが与えられているということです。

マルティン・ルーサー・キング牧師は、差別撤廃を求める困難な現実の中で、信じつつ、イエスの業に連なろうとする者、歩み出そうとする者は、絶望的な現実の中あって、なお願いつつ、希望を持っていくことができるということを示しました。

教会総会を行います。これまでの歩みを振り返り、確かに主が導いてくださったことを感謝する時でありたいと願います。そして、新しい一年を、さらに豊かな祝福をもって、主が導いてくださることを信じてまいりたいと思います。