《説教要旨》

「心に刻むべきこと」                前広島東部教会牧師 月下美孝牧師

イザヤ書2:1~9 エフェソの信徒への手紙2:14~22

 

ヒロシマ・ナガサキを昔話にしないために、何をすべきでしょうか。

国連の本部広場前に、聖句「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」と刻まれた「イザヤ・ウォール」と呼ばれる壁があります。これは、国連が発足した時の理想でした。又、国連広場には、イザヤ2章をモチーフにしたブロンズ像「剣を打って鋤の刃にしよう」もあります。ヨエル書4章10節には、逆に「鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ」という句があります。まだ軍隊が常設されていなかった時代、敵が攻めてくると農民にこう呼びかけ、人々は農具を武器に作り変えて戦いに臨んだというのです。イザヤ書では、この句ひっくり返して用い、武器を捨てて平和を選び取る意志、「戦わない」意志を明確に示しています。

敗戦後、憲法第9条は、もはや「戦わない」意志を明確に示したものとして、世界の国々から敬意をもって迎えられました。イザヤ書の幻が、不思議にもこの国にある形をとって現れたといえないでしょうか。今、日本では第9条を変え、戦争・軍事行動を可能にしようという動きが強まっています。しかし一方で、世界的には、この時代だからこそ憲法第9条を評価し他国にも取り入れようという動きも広がっています。日本のキリスト者は、今こそ、このイザヤ書の幻をどう受けとめるか、問われているのです。

だが、イザヤの言葉は、素晴らしいと思うが旧約聖書には戦争を肯定し・賛美するような箇所も沢山あるではないかと、戸惑いを感じる人も多いと思います。イエスの旧約の読み方が、マタイ22:40~に示されています。掟は多くあるけれども、最も重要な掟は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(申命記 6:4)と、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ記 19:18)の二つであり、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」と言われました。つまり、旧約聖書にどんなことが書いてあるとしても、イエスにとってその中心は愛であり、それを言葉で人々に教えられただけではなく、彼自身の生き方、存在そのものが愛であったのです。そのことをパウロは、エフェソの信徒への手紙 2章で述べています。事実イエスは、民族・宗教・文化の違いから来る敵意を廃絶するような仕方でどんな人とも共に生きられました。だからこそ、単なる口先の言葉としてではなく、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ 5:44)と命じることが出来たのだと思います。