《説教要旨》『命の贈りもの』 大澤宣牧師 代読:白坂大輔さん
マタイによる福音書1章18~25節
12月22日の新聞に「平和な世界へ特等席」という記事が載っていました。ノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会に贈られ、ノルウェーで行われた授賞式に80代から90代の代表委員3名が赴かれました。3名の方々は過密な日程をこなされ、行きも帰りもエコノミークラスで10時間以上飛行機に乗られることになっていました。「ハードなスケジュールのなか、分刻みで動いてきた高齢の方々にとって、10時間以上のフライトは大変だ」。そう思われた客室乗務員の方は、ビジネスクラスに空きがあることに気づき、責任者に相談し、3名の方々は、ビジネスクラスで帰国されました。「これまで生涯かけて行ってきた、そして、これからも続けていくであろう貴重な活動に対し、深く感謝すると同時に、核兵器も戦争もない平和な世界が一日も早く訪れますよう、心よりお祈り申し上げます」。到着時のアナウンスでそう述べられ、機内は温かい拍手に包まれたということです。大変な働きをしてこられた方々への贈りものだったのだと思います。
マタイによる福音書に、イエス・キリストの降誕を星の導きによって知らされた東方の占星術の学者たちが、黄金、乳香、没薬という宝物を携えて訪ねてきたことが書かれています。宝物に重ねられた思いは、これまでの人生の中にあった喜びや感謝、そして悲しみや苦しみであったと思います。彼らは、「異邦人」と呼ばれ、神の民ではないとされた人たち、神の恵みから遠い者と見られていた人々でした。しかし、彼らも救い主を待ち望む人々であったのです。一方、ユダヤの人々は救い主の誕生に無関心でした。そして警戒すらしていたのでした。自分のあり方、自分の立場に固執して、新しい喜びが告げられるという希望からかけ離れたありかたになってしまっていたのではないかと思います。
私たちはどうでしょうか。救いを待ち望み、期待をもって新しい時を迎えているでしょうか。一日一日、新しい、真っ白なページを開く思いで迎えているでしょうか。
阿南慈子さんという方がおられます。難病を患われ、ご不自由な生活をしてこられながら、多くの人に支えられ、多くの人を励まされた方です。「苦しみに何か大切な意義がある。無駄なものは何一つない」と語られ、生きる悲しみを見据えた上で、力強い言葉を残され、多くの人を励まされました。
神様が与えてくださる命の日の中で、私たちが不安や悩みや痛みを持つ中にあって、なおなし得ること、それぞれに応じて働くべきことを与えられている、私たちが意味のある命を与えられていることを覚えてまいりたいと思います。