《説教要旨》『時の徴を悟る』                   大澤宣 牧師  

マタイによる福音書13章10~17節

 学生時代に通っていた教会で出会った信徒の方は、戦時中に警察に連れていかれ、「お前が知っているキリスト教の話をここに書け」と言われて、創世記から始めて、知っている限りの聖書の話を書いたことがあったということでした。聖書の言葉に励まされ、力を与えられ、慰めを与えられて生きてこられたのです。2月11日は「信教の自由を守る日」です。イエス・キリストを主と信じる信仰の自由が守られるように願います。また、それぞれの信仰をもつ方々の自由が守られるように祈りたいと思います。

 イエス・キリストは、たとえを用いて語られました。そして、弟子たちには、「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されている」と語られましたが、イエスの弟子たちも、イエスの語られる言葉を十分に理解していたとは思えません。受難の道を進もうとされるイエスを引き留めようとしたり、イエスが神の国の権威をもたれる時には、自分たちを高い位につけてほしいと願っていたのでした。

 イエスが、マタイによる福音書13章1節以下で語られたように、御言葉の種を蒔かれても、道端に落ちて鳥に食べられたり、石の上に落ちて枯れたり、茨の中に落ちてふさがれたりしてしまうかもしれないというのが、弟子たちの現実であり、私たちの現実かもしれません。それぞれの現実に押しつぶされそうになるものかもしれませんが、その私たちのなし得る仕方で、小さなことにも誠実に取り組んでいくとき、それは必ず30倍、60倍、100倍の実を結ぶと告げられるのです。

 私たちは時の徴を悟るということを大切にしたいと思います。時代の流れの中で、何が起ころうとしているのか、敏感に受け止め、悟らなければ、やがて大きな過ちをおかすことになるかもしれないという警告を受け取らなければなりません。

 荒川純太郎牧師という方が『アジアの種子』という本の中で、コーヒーの種は「眠れる種子」で、なかなか芽が出ないのだけれども、水やりをあきらめてはだめだということを言っておられました。

 私の力ではどうすることもできそうにないことがあります。しかし、私たちに種がまかれていることを覚え、水をやり続けていくことを大切にしたいと思います。イエス・キリストに従って、大切にしてまいりましたこと、「今この戦後の日本にキリストが再び来られたら、どのような生き方を目指されるだろうか」という呼びかけを覚えながら歩んでまいりたいと思います。