《説教要旨》『弱さを誇る                   大澤宣 牧師  

  マタイによる福音書28章11~15節

 「人は体ではなく心で生きていくんだ。挫折しそうになっても夢の種だけは捨てないでほしい」。みやざき中央新聞に書かれた丸山眞行さんの言葉です。速さや効率の良さが求められる世の中で、身体的なハンディを持たれる丸山さんが生きて行かれるのはたいへんかもしれません。しかし、たとえ時間がかかっても、夢の種は捨てないということ、自分は成長していくと信じることの大切さを思わされます。

 労働聖日を覚え、すべての人に、その時その時の務めが与えられていること、そこにおられることで、まわりの人たちにとって大切な存在であることを思います。

 イエス・キリストの復活に出会った女性たちが、そのことを弟子たちに知らせようと走って行くのですが、番兵たちの方が彼女たちより先に着いてしまうのです。この世の力は侮れません。予想しなかった事態を収拾しなければならないと考えるこの世の力は、実に迅速に対応するのです。

 この世の合理的な生き方は、目の前の状況に迅速に対応するかもしれません。時代の動きに即して、自分たちのありようを変えていくかもしれません。イエスの墓に行った女性たちの歩みは、彼女たちは一生懸命走っているつもりでも先を越されてしまうものかもしれません。その中にイエスの復活が証されるのです。

 山形謙二さんの『いのちをみつめて』という本の中に、アーミッシュというキリスト者たちのことが書かれています。現代文明に頼らないで、「従順、謙虚、質素」を生活の基本として、独自の生き方をしておられます。無抵抗主義で、自発的に赦すという生き方を通してこられました。

 アーミッシュの人たちの学校には「JOY」、喜びという字が掲げられています。Jesus First(キリストが一番)、Others Next(他者がその次)、Yourself Last(あなた自身は最後)という意味だそうです。

 弱さを抱えた、ゆっくりとした歩み。キリストが一番、他の人がその次、自分自身は最後。そこに喜びあることを味わいつつ歩みを進めたいと願います。

 今日は教会総会を行います。数の大きさ、速さ、力が求められる時代の中で、私たちは主のみ言葉に信頼をおいて進もうとしています。互いに愛し合う、そのことを忘れなければ、私たちの歩みは確かなのです。教会の歩みはゆっくりかもしれません。その遅さ、弱さの中にこそ、主の復活を証する歩みがあることを大切にしてまいりたいと願います。