《説教要旨》『開かれた道                 大澤宣 牧師  

 ヨハネによる福音書14章1~11節

 アジアのある国で働いているお医者さんがこう言いました。「私が働いているところには神様はおられません。神様は、あなたたち日本の教会の礼拝堂におられるのです。どうか、神様のおられるところから支援を届けてください。」この言葉に複雑な思いを与えられます。神様が日本の教会の礼拝堂の中にだけおられるということはありません。神様は、この世の現実のすべてのところにおられるはずです。どうか私が働いているところにも神様がおられることを実感させてほしい、そのためにも皆さんが支えてくださることをお願いしたい。その思いが込められていたのだと思います。 

 私たちの信仰の歩みと、この世の日常生活の歩みは別のものではありません。私たちの毎日を、主から与えられた恵みとして受け止め、互いに愛し合うことへとすすみたいと思います。

 イエスの弟子、トマスは、イエスがどこに行かれるのか,そして私たちがどこへ行くのかわからないと言いました。私たちも、主イエス・キリストのみ姿がさだかに見えないかもしれません。私たちが主に従う道はどこに行くのか,はっきりとわからないかもしれません。

 イエスは、心を騒がせるなと言われます。「わたしがどこへ行くのか,その道をあなたがたは知っている」と言われるのです。

 作家の星野智幸さんは、去って行った人の思いを心に留めながら、語り続けるために,私たちは残されていると言われました。去って行った多くの人のことを思いながら、その心に沿うために,私は生きていきたいと語られたのです。その時、私はもはやそれ以前の私ではなくなります。去って行った人と共に生きるものとされます。去って行った人を心に宿すものとしての私になっていくのです。

 イエスの復活に出会ったひとりひとりが、いまだ語られることのなかったイエスの言葉に出会っていくのです。イエスの復活を信じたひとりひとりが、いまだ行われることのなかったイエスの御業にふれていくのです。それは現実に、新たにイエスに出会っていく出会いでした。

イエスが語られるとおり、イエスが道なのです。それはこれから弟子たちが進んでいく道なのです。そして、私たちもイエスの道を進んでいくのです。イエスが真理です。過ぎ去ることのない、古くなることのない真理です。イエスが命です。いつまでも滅びることのない永遠の命。その命の道です。私たちに開かれている命の道を、感謝と希望をもってすすんでいきたいと願います。