《説教要旨》『”霊”が語らせるままに』』 大澤宣 牧師
使徒言行録2章1~11節
「主の平安のうちに、カトリック宣教師フェリス・ドミニクス・ティシエ、ここに眠る。1895年9月6日、長崎の宣教本部にて死去。享年45歳。安らかに憩わんことを。」結城了悟さんが書かれた『海原のかなた』の中で紹介されている言葉です。生まれ故郷を離れ、異国の地でなくなった方たちが、悲しみの果てに、なお光を放つ、信仰と希望と愛を綴ってこられました。ひとりひとりの上に、神様が働かれ、その人を生かし、動かし、困難な歩みを導かれたのです。
使徒言行録は、イエスの弟子たちに、神様の霊の働きが届けられ、力を与えられ、イエス・キリストの福音が語り始められるという出来事を記しています。この弟子たちもさまざまでした。ある者はイエスの復活に喜びあふれます。ある者は復活を知らされながらも、なお疑っています。驚き、喜び、また、戸惑い、疑いながらいたことだと思います。その人々が聖霊に満たされました。それは、炎のような舌がひとりひとりの上にとどまったということです。炎のような舌とは、言葉を語らせる力を表しているものだといえます。恐れて、閉じこもっていた弟子たちに、福音を語り始める力が届けられたということでした。
弟子たちは、それぞれ異なった言葉で主の恵みを語るようになりました。ユダヤの人々は、国を失い、住むところを求めていく歴史を歩んできました。住むところを失い、散らされていった人々は、苦難の歴史を歩みますが、神様はそれぞれの歩みを大切にしておられること、困難の中にある歩みを大切に見つめておられることを思わされます。
福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師が書かれた『翼の教会』という本があります。東日本大震災、原発事故のためにチャペルを失い、教会員の多くが自宅を追われ、故郷が閉鎖されたという教会です。明日の生活がわからなくなり、生きることに精一杯でした。会津、米沢と移動され、さらに全国に散らされて行かれました。やがて福島に戻る決意をされ、2012年、いわき市にチャペルが建てられることになりました。 建築中のチャペルでまもられた礼拝で、佐藤牧師はこう語られました。「私は去年、このいわき市に、教会堂にふさわしい建物がないかと東京から土地を探しに来ましたが、土地もなく、教会員の住めるアパートもなく、間借りできるような教会もなく、あの時の雨は本当に涙雨でした。今日はここまで教会堂が建ったので、ありがたいなあと思っています。…悲しいことと、うれしいことがごちゃまぜなのが人生の道のりです。…私たちはまだ終わっていません。そして、希望があります。」
神様から霊の糧をいただいて、喜びも悲しみも分かち合っていくことを大切にしたいと願います。