《説教要旨》『自由への招き』                 大澤宣 牧師

 使徒言行録17章26~34節

  「天声人語」にニューヨークの自由の女神のことが書かれていました。その足もとにはこのような言葉が書かれているそうです。「我に委ねよ 汝の岸辺にうち棄てられ 倦み疲れ 貧しさに喘ぎ 自由に焦がれて 群れなす汝が民を」。新天地を目指す人々に門戸をひらき、チャンスを与えてきた国の原点だろうと語られていました。

パウロはガラテヤの信徒への手紙でこう語ります。「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい」(5:13~15)。

パウロは、アテネ、コリントという街で伝道の働きをすすめました。それぞれが自分たちの価値観を持ち、それを揺り動かそうとするものは受け付けないかたくなさを持っていました。イエス・キリストの福音を語り、死者の復活ということを語りますと、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と相手にされませんでした。この街の住民であることに誇りを持ち、こだわりを持つ人たち。文化的、経済的豊かさの中にいる人たちは、何かおかしいと思っても、自由になることができなかったのです。

パウロは、「わたしたちは神の子孫なのですから」と語りかけました。神様は、私たちが探し求めれば見出すことができるようにされたのです。神様は私たちひとり一人から遠く離れてはおられないのです。

内田樹さんが「現代における信仰のかたち」についてこう語られました。神様が神様というその名にふさわしい方ならば、必ず「神様の支援なしに地上に正義と慈愛の世界を打ち立てることのできる人間」を創造されたはずだ。自力で世界を人間的なものに変えることができるだけ高い知性と徳性を備えた人間を創造されたはずだといわれるのです。

私たちが神様から託された命は、かけがえのないものです。どのような悲しみの中にあっても、どのような困難の中にあっても、神様は私たちに生きることを期待しておられるのです。そのために導きを与えてくださり、自由を与えてくださり、私たちがこの導きにどのように応えて生きるのか期待しておられるのです。多くのもの、多くのことにとらわれて生きる私たちかもしれません。その私たちを愛してくださり、それぞれの歩みを見守ってくださっていることをおぼえてすすみたいと願います。