《説教要旨》『主の恵みに生かされる』』 大澤宣 牧師
マタイによる福音書6章25~34節
今日、7月第二日曜日は部落解放の祈りの日です。1975年7月に日本基督教団に部落差別問題特別委員会が設けられ、教団がいわれのない人権侵害の問題に宣教の課題として取り組むことを始めたことを覚える日です。今年、3月11日に部落差別による冤罪として裁判のやり直しを求めて来られた石川一雄さんが86歳で亡くなられました。1963年以来、見えない手錠をつながれたまま召されてしまった石川一雄さんの人生の重さを考えさせられます。人が当たり前に生きることを出来なくさせていることを心に留めながら、これからも無実を求める活動が続けられていきます。
偏見があり、差別があります。それが、人の命を脅かすものになっています。それが人と人との平和を壊すものであり、神様と人との平和を妨げるものになっていると思います。
宮田光雄さんが『山上の説教から憲法九条へ』という本の中で、平和を作り出すという課題が、わたしたちの日常生活そのものへの問いになっていると語られました。ものを生産すること、ものを所有すること、ものを消費すること、そういうわたしたちのあり方が、自然の空気、水、大地、そこから生まれる豊かな収穫と関わっているということ。わたしたち人間は、どこかで関わり合って生きているということを考えなければならないということです。
イエス・キリストは言われました。空の鳥たちが生かされている。わたしたちは鳥よりも大切なものである。野の花よりも大切なものである。その人間も、いくら思い悩んだからといって寿命をわずかでも延ばすことはできません。地上の命の終わり、その時まで、神様は命を守ってくださり、養ってくださる。それだからこそ、生かされてある今を大切に生き、与えられてある恵みを信じていくことが大切です。思い煩い、悩みの中にあって、押しつぶされてしまうのではなく、委ねるべきところは委ねていくべきなのだと思います。
東日本大震災の被災地に復興支援に来られた韓國基督教長老會の方が、被災した人たちに自分が持っているものを分けてあげようと思ってこられたということです。ところが、実は被災した方たちからもらうばかりだった。たくさんの恵みをいただいて帰ったと感じられたのでした。
現実に生きるわたしたちは、それぞれ違います。そのわたしたちが共に生きるものとされています。わたしたちは、命を滅ぼし合うことではなく、大切に守ること、共に歩みをすすめることへ、恵みに生かされていることを信じてまいりたいと願います。