《説教要旨》『神との対話』                 御影教会 木村真彦 牧師

 テモテへの手紙一2章1~7節

  私たち、聖書に聞くものにとって、神様へ祈りは、対話であり、命の育みです。ある説教者は祈りについて4つのことをのべています。
① 祈りの第一:神様に対して誠実であること。
② 祈りの第二:祈りが神様の心に適うような出来事となるよう、具体性に祈ること。
③ 祈りの第三:自分の願望や占いのようなものに頼らず、祈りの行動として、自分のできる奉仕をすること。
④ 祈りの第四:人間を支配する自然法則の中で祈ること。

  ①は自己本位的な祈りや敬虔そうな言葉で体裁や形を表すだけでなく、自らの心の声として真摯に神様に叫び、そして、祈りの行動を歩み続けることです。それが祈りの誠実さであります。

  ②については、神はどんな祈りでも聞いてくださいますが、それに甘んじて、自分の願望だけをかなえる祈りをするのではなく、ここにイエス様がおられるならば、イエス様ならどうなさるだろうかと問いつつ、祈るのです。具体的な言葉でいいますならば、「自らはどうしても自己の思いのままになることを望んでしまいます。どうか、神様、あなたが自分の痛みと隣人の痛みにかえ、魂の癒しを与えたように、私たちも主のように歩むことが出来るように導いてください」と神に自分の具体的な部分をあげて、それを祈る中で、欠けの多い私達も神がとらえてくださることの恵みを感謝していくことが具体的な祈りです。

  ③について、私達は自分のできることを自らが行い、働いていくことが「祈りの行動」です。「祈りの行動」は神様から生かされていることを共に祈りの仲間と体現できる霊的な交わりです。祈りをもって働きかけ、その一つ一つの行動をもって神に対しても、人に対しても謙虚に祈る時、祈りによって、力を与えてくださる神の恵みが現われ、人間の「祈りの行動」に対する応答があるのです。

  ④について、これは私たちの生きている社会の中で祈ることです。祈りは、ある状況をすべてかえることをめざすものではありません。「乗り越えられない道には逃れる道が備えられるように」、祈りによってその状況を耐える力、さらには練達し、そこから希望、そして、キリストの愛情に満たされるものが与えられるものなのです。ゲッセマネの園でイエス様は、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いからではなく、御心のままに」と祈りました。そこで、イエスさまは神から十字架を耐える力を与えられました。キリスト=イエスが神の業として、すべてのものに贖いの血を与える役目がそなわっていたことを受け止めたのです。そこには、神が共に傷みを担うことがあることを主は示されました。主が先立って歩んでくださったことが自分自身のこととして祈ることが生まれてきたとき、「インマヌエル」の主が生き生きといきていくのです。