《説教要旨》『へいわをうたい続ける へいわをいのり続ける』 佐々木咲野加さん
マタイによる福音書5章3~9節
2022年2月24日、ロシアによるウクライナ攻撃したすぐ後の日曜日から数か月、礼拝奏楽で、「平和」の賛美歌を弾きました。わたしにできる平和へのアクションとして続けましたが、毎週の選曲の中で、これはいつまで続けねばならないのか、このことは果たして何になるのか、そのような思いが体中をめぐっていました。
奏楽奉仕を始めてからは30年経ちますが、大学での出会いをきっかけにオルガニストとしての学びを得て、今も関わるキリスト教音楽の世界につながりました。『オルガニストはただの伴奏者ではなく、礼拝を創り、賛美をリードする役割を担っているのだ』というオルガニストとしての姿勢。学びのなかで得た「賛美歌は音楽のとおりに弾いてはいけない。歌詞のとおりに弾きなさい」という言葉。毎週の奏楽において大切な緊張感を与えられ、また他の音楽活動においても、自分自身を支えてくれています。
2011年に出版された絵本、「へいわってどんなこと」。争いはなぜ起こるのか、戦争が起こるとどうなるのか、この絵本は示してくれていると感じます。一見、わたしたちは、「平和」な毎日を過ごしているといえるかもしれません。しかし、それは本当でしょうか。想像してみたいと思います。
今日の聖書箇所はあまりにも有名ですが、「幸い」とは言えないこと、そのような状況に置かれた人々について、そのことをとおして、神様による慰めがあり、神様が報いられるのだという教えが説かれています。9節は口語訳聖書「平和を造り出す人たちは、幸いである」との訳のほうがしっくりきますし、英訳「Blessed are the peacemakers」に忠実です。平和の実現のためには、それについて、ただ知っているだけに留まらず、日々の生活のなかで、創り出していかなければならないのだということが示されています。
ひとりひとりが、互いの、いのちのぬくもり・温かさを感じられる距離、互いの声が届く距離で、ほんの少し行動できたら、それはいつか大きなうねりとなると信じます。すべての人が、いのちを尊び、いのちをいとおしむことのできる社会のために、向き合うべき課題に心を向け、一歩を踏み出すことのできるひとりとなるために、うたい続ける いのり続ける Peacemakerでありたいと願います。