《説教要旨》『新しい時代を目指して』     大澤 宣 牧師

 マタイによる福音書12章43~50節

  8月は常にもまして平和を祈る時でした。聖書が語る平和、シャロームは、自分も相手も幸いであること、すべての人が不足なく過ごせることです。自分や家族や、いわゆる仲間たちだけでなく、出会っていく他者、時には利害関係がある他者との間も、親しくなごやかであること、和解がなっていること、精神的、社会的な関係において、平和であることです。

  近江商人という人たちがいます。その理念が三方よしということです。売る自分たちが良いということ、売り手よし。買った人たちも良かったと思える、買い手よし。その利益を社会に還元して、公共の事業、福祉に役立てようとする、世間よし。1905年に近江八幡市に来られたウィリアム・メレル・ヴォーリズという人は近江兄弟社の事業を行い、その利益で、病院、幼児教育、図書館の働きを行い、「神の国」をつくることを目指しました。

  イエス・キリストが語られたたとえ話で、私たちが、良い心を大切にし、神様のみこころを行うことを大切にすることが語られています。汚れた霊が人から出て行き、あちこちうろついて、行き場所がないので帰ろうとします。その時、出て行ったところは空き家になっていて整えられていました。そこに、自分よりも悪い七つもの霊を連れてきて、その人の状態は、前よりも悪くなってしまうということでした。

  私たちは戦後80年を迎えました。第二次世界大戦で多くの命が失われ、多くの人が傷つきました。その時が新しい出発の時であると受け止めたのです。東神戸教会も「戦後日本に再臨するキリスト」を掲げて、「今この戦後の日本にキリストが再び来られたら、どのような生き方を目指されるだろうか」という問いを心に刻みながら歩んできました。ここに再び汚れた霊を招き入れてはなりません。過去を認めようとしないことは、汚れた霊を招き入れることになるのです。

  1985年、当時のドイツ連邦議会でヴァイツゼッカー大統領が行った演説が心に残ります。「心に刻む(エアインネルン)」という言葉を繰り返しながら、過去を心に刻むことによってこそ、現在を、そして将来を望み見ることができると語りました。私たちが、主にある真の平和へ向かい、新しい時代を目指してすすむものとされておりますことを心に刻みたいと願います。