《説教要旨》『赦されて生きる』     大澤 宣 牧師

 マタイによる福音書18章21~35節

  主の祈りに祈られる祈り。「わたしたちの負い目をおゆるしください。わたしたちも負い目をゆるし合います。」自分の罪を認め、誠実に償おうとするところから新しい生き方が開かれてくるのだと思います。

  イエス・キリストが語られたたとえ話です。ある王の家来が王に1万ラタントンの借金があり、家来は全部返しますから待ってくださいと頼みました。王は憐れに思ってその借金をゆるしてあげました。ところが、家来は、100デナリオンの借金のある仲間をゆるしませんでした。起こった王は家来を呼んで、借金を返すまで牢に入れてしまったということでした。

  人をゆるすことの出来ないものは、自分がゆるされた実感のないものだということを考えさせられます。イエス・キリストは、私たちすべての者が、神様からゆるしの恵みを与えられた者であることを覚え、お互いにゆるし合う生き方にすすむようにと方向付けを与えておられます。

  2001年9月11日にアメリカニューヨークで起こった出来事は世界中に衝撃を与えました。多くの人の命が失われたことに深い悲しみを覚えます。そして、それに続いて起こった戦争で、さらなる悲劇が繰り返されたことを覚えさせられます。ニューヨークの出来事で家族を失った方々、100以上の家族がつくっているピースフル・トゥモロウズというグループがあります。この人たちは、報復や戦争ではなく、平和的な解決を求めてこられました。『われらの悲しみを平和への一歩に』

  イエスのたとえ話で、家来がゆるされたタラントンというものは、タレント、賜物という言葉につながるものです。私たちすべての者が、神様からそれぞれの賜物を与えられ、この世の命、人生を歩むように送り出されています。それが大きいか小さいかを比較するものではありません。神様は、それぞれにふさわしく賜物を与えてくださっているのです。

  一日一日、私たちはゆるされ、新しい命へと招かれているのです。私たちをこの恵みへと招き、命へと招くために、主イエス・キリストの十字架という大きな代償が払われたこと、主イエス・キリストの死を通して、私たちが新しく生きることへと招かれていることを覚え、新し歩みをすすめていきたいと願います。