《説教要旨》『天に富を積む』 大澤 宣 牧師
マタイによる福音書19章16~30節
一人の青年がイエスのところにきました。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」イエスは律法に定められていることを答えられました。すると青年は、そういうことはみんな守ってきました。わたしにまだ足りないところがありますか。そう問うのです。
青年はエリートと呼ばれるような生き方をしてきたのでしょう。エリートとはもともと「神に選ばれた者」という意味だそうです。神様に選ばれるということは、イエス・キリストがそうであったように、人に仕えるために生きることです。「彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。」(ヨハネによる福音書17章19節)自分の利益や損得に関わりなく、人のために尽くせる。それが本来のエリートなのです。
自分の功績を積み重ねていって、そこに救いがあるというのは、神様を信頼していないことと同じです。自分の力では完全になり得ない人間に、神様がすでに出会ってくださっている。この出来事が救いの出来事です。永遠の命をえるということは、自分が神様から何かをつかみ取るということではなく、恵みに自分自身をゆだねて、自分を神様に明け渡すことなのです。
世界聖餐日、世界宣教の日を迎え、世界の教会が教派の違いや文化の違い、国境を越えて、共に聖餐にあずかります。
また、今日は東神戸教会の創立記念日として礼拝をまもっています。初代牧師、三浦清一牧師はこのように語られました。クリスチャンにとって絶望とはあり得ないこと。クリスチャンにとってはキリスト復活の希望がある限り絶望などない。信仰によって私たちは安らぎを得る。
これまで、教会に連なられるそれぞれが、困難の多い歩みを支えられ、導かれ、神様から希望と平安を与えられながら歴史が綴られてきたことを思います。一人ひとりは小さな者です。力のない者です。わたしたちそれぞれに神様は働いてくださる。この恵みに感謝して、わたしたち自身をゆだねていくものでありたいと思います。