《説教要旨》『恵みの約束』 大澤 宣 牧師
マタイによる福音書20章1~16節
今日は神学校日、伝道献身者奨励日です。神学校の働きを覚え、伝道のために働かれる方がたてられますように祈りたいと思います。私が学びました同志社大学神学部は毎年60名くらいの卒業生を送り出していると思いますが、牧師、キリスト教主義学校の教師、福祉施設や病院で働く方、キリスト教の専門職につかれる方の他、半数以上の方は一般企業に就職しておられます。それぞれの送り出されていく場で地の塩、世の光として豊かな歩みをしておられます。
同志社の創立者新島襄は良心ということを大切にしました。信仰によって与えられる良心とは、人間の視点ではなく、神様が見ておられることを意識して初めて芽生えるものだと語りました。
イエスのたとえ話から、神様は私たちをどのように見ておられるのかを示されます。
ぶどう園で働く人たちが集められました。夜明けから働き始めた人。9時、12時、3時、5時、それぞれの時間に働き始めます。約束は1デナリオンでした。5時から働き始めた人に1デナリオンが渡されたので、朝から働いている人はもっと多くもらえるだろうと思ったのです。約束は1デナリオンでした。
1デナリオンとは、当時の人たちが一日を過ごすのに必要な生活費だといわれています。長く働いた人にも、働く時間が短かった人にも、その人が一日生きていくのに必要なものを渡したいということなのだと思います。この時間の違いが何を表すのかはさまざまに受け取られます。人生の長さとみるかも知れません。信仰生活の長さと見る人もいるかも知れません。人が見るとそれぞれ違うように見えるかも知れません。しかし、神様が見ておられるのです。それぞれの歩みに優劣をつけることなく、神様は一人ひとりにふさわしい歩みをあたえてくださり、恵みの約束を与えてくださるのです。
同志社に松本五平さんという人がいました。生徒たちにからかわれていた五平さんでしたが新島襄はいつも「五平さん、用事をお願いします」といって丁寧に接していたのです。死んだ後も新島先生の門番をしたいと願っていた松本五平さんは、同志社墓地の門の中に葬られたのでした。
イエスは、私たちの働きの大小にかかわらず、約束のものを備えてくださると語られました。主が私の歩みを見ておられる、主がともにおられることを信じて、進むものでありたいと願います。