《説教要旨》『分けられないもの』 大澤 宣 牧師
マタイによる福音書25章1~13節
信徒伝道週間、教育週間を迎えました。私たちの教会では、こどもの礼拝としてCSの働きを行っています。こどもたち一人ひとりが、神様の祝福をいただいたかけがえのない存在であることを感謝しながら過ごしています。その働きのために教会の皆様が心を込めて働いておられます。
また、共育部の働きでは、教会の皆様が共に学び合い、育ちあうことを大切にしています。まもなく、クリスマスに向けて計画が立てられるということでわくわくしながら過ごしています。
教会の暦は聖霊降臨節の終わりを迎え、来週は降誕前第9主日を迎えようとしています。節目の時を迎えます。私たちが一回の礼拝を大切にすることを忘れないように、そして、私たちが一回限りの大切な人生を歩んでいることを心に留めたいと思います
すべてのものに始まりがあり、終わりがあります。この世の終わりの時、復活の主が再び来られる時を見据えることが示されます。
10人の女性たちがともし火を持って花婿を迎えるというたとえで、大切な時を見据えて用意をしっかりしておかなければならないということが語られます。
私たちがこの世に生きる中で、多くのものが他の人たちと分け合えるもの、分け合うべきものであることを思います。けれども、そのことを通して、神様のみ前に生きるその命を全うし、守るという、この守るべきものだけは決して分けることのできないもの、譲ることのできないものであることを思わされます。
ある音楽家がおられました。体の不自由さを抱えられる中で、ご自身で演奏活動を続けることができなくなったのですが、仲間の人たちと楽団を作られ、後続の音楽たちを育てたということです。
それぞれの人生、さまざまな事情を抱えています。人間的な望みが断たれるところ、自分の思いを断念せざるを得ないところ、そこに神様はなお道をひらかれ、恵みをもって導いてくださることを思わされます。その恵みを生かしていきたい。どのように生きるのか、神様から問われていることを受け止めたいと思います。