《説教要旨》『愛を覚える時』     大澤 宣 牧師

 ヤコブの手紙 2章14~17節

  滋賀県能登川にあります止揚学園は知能にしょうがいのある方たちが生活される場です。止揚学園を創立された福井達雨さんは、「愛、それは温かい関係であり、深い行動なのです」と語られました。わたしたちは,いろいろなことに出会って,気づかされること、教えられることがあります。

  止揚学園で過ごされる方が福井達雨さんにいわれました。「なに、なやんでる」。福井達雨さんは思いました。悩みはすべてを暗い方向に進めていく。空回りをして答えが出ない後ろ向きにさせるものだ。前向きに考えると、すべてが明るくできるのだ。わたしたちは、気づいたこと、教えられたことをどのように行動に表していくのかが大切だといわれました。その行動があって、温かい関係が結ばれていく、そのことを大切にしていきたいといわれます。

  ヤコブの手紙は、信仰は心の中で思うだけでなく、行いを伴うものだと語ります。行いが伴わないなら、その信仰では,私たちを救うことができないというのです。私たちが救われることが信仰なのですが、その信仰とは、困難の中にいる人の求めに具体的に応えていくことだといわれます。

  マタイによる福音書25章に、イエス・キリストが再び来られて栄光の座に着かれるという場面が描かれています。すべての人々が集められ、祝福されている人たちに、あなたたちのために用意されている国を受け継ぎなさいといわれます。それは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだといわれます。祝福された人たちは、わたしたちがいつそんなことをしましたかと言いました。すると、イエス・キリストは、最も小さいものの一人にしたのが、わたしにしてくれたことなのだといわれたのです。

  大きなことはできないかも知れません。だれもが大きな働きができるわけではありません。けれども、いのちを与えられ、生かされている限り、わたしたちには何かなし得ることがあるのです。そのことを大切にしていくこと。それが、わたしたちが信じて生きることであるのだと思います。