《説教要旨》『人の世に生きられる主』     大澤 宣 牧師

 ルカによる福音書 1章46~56節

  450年以上前、メキシコにホアン・ディエーゴという人がいました。12月9日、神様の教えを受けるために教会へ向かう途中で、不思議な体験をしました。丘の上から音楽が聞こえ、太陽のように輝く衣をまとった女の人がいるのです。女の人は語ります。「私がいつの世もマリアであり、真の神、命の創造者、共に集う者たちの主、天と地の主の母であることを知るがよい。」

  この出来事から、人々の間に信じる心が生まれ、多くの人たちの自立への希望になっていったのです。スペイン人やポルトガル人に押さえ込まれていた人々が、自分たちは救い主の母から直接語りかけられたのだと考えるようになりました。自分たちは、スペイン、ポルトガルから来た人たちに一方的に従わなければならないのではない。だからといってすべてを排除しなければならないのでもない。共通の目的を持ったパートナーとして共に生きていく。そのような新しい世界、新しい命の理解を与えられました。ホアン・ディエーゴの体験は、中南米の貧しくされた人々にとって、困難や苦悩からの救いのしるしであり、希望のしるしとなっています。

  「マリアは歌ったまだ生まれていない息子に、私の魂は主をかかげる、私は私を解放した神に向かって歓呼する、・・・そしてマリアはほとんど読めなかった、そしてマリアはほとんど書けなかった、・・・そのかわり彼女は歌いきかせた、彼女の長男に、そのかわり彼女は歌いきかせた、娘や他の息子たちに、大いなる恵みとその神聖な変革について」(クルト・マルティ)

  何もよいことは期待できないような2000年前のガリラヤの片隅で、マリアは救い主を喜び、解放と変革と希望を歌ったことを心に刻みたいと思います。

  1985年、つくば万博の会場で、未来への手紙が投函されました。あるお母さんからこどもに宛てられた手紙があります。「・・・あなたは、しょうがいをもって生まれてきました。それは一生背負っていかなければならないのです。・・・日々を誠実に、自分自身のできうる限りを力一杯生きることが、悔いのない生き方につながることだと思います。・・・生まれてきてよかったと思えるような人生を送ってください。」一人ひとりが、しんどさや悲しみを抱えている中で、しかし、生まれてきてよかったと思えるような人生を歩む、そのように生きられることを願います。

  人の世の喜びと悲しみ、そのただ中に生きられる私たちの救い主に、私たちのすべてを託し、喜び祝う歌をささげていきたいと思います。