《説教要旨》『芽生え、育ち、実を結ぶ』 大澤 宣 牧師
マルコによる福音書 4章1~9節
イエスは、湖のほとりで教えられ、たとえ話を語られました。イエスは、人々に語られる時、生活の中で起こってくるようなこと、身のまわりにあるものをたとえとして語られました。特に、農耕生活を営む人たちに身近なことを語られました。
蒔かれた種が茨の中に落ちて、茨に覆いふさがれて、実を結ばなかったということがいわれています。神様の御言葉を聞いても、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らないということだといわれています。
作家の三浦綾子さんが『愛すること信ずること』という本の中で、印象深いことを書いておられました。ある友人の話としてですが、結婚の約束をした相手にこう言ったそうです。「着物も何もいらないから、ただ神様の聖言(みことば)をたくさん胸にたくわえてきてほしい」。この言葉にたいへん感銘を受けられました。この人生に、自分が宝とするものは、やはり、神様の御言葉でありたいと思うと語られました。
私たちは多くのものがあふれる中で生きています。もしかすると、それらのものが自分の宝になってしまって、この宝を得させてくださるならば神様を信じるということになってしまうかもしれません。私たちが神様の御言葉を第一に生きていくことをさまたげるさまざまな力があることも考えさせられます。
明治の自由民権運動の活動家、田中正造は、足尾鉱毒事件のことを訴えて、キリスト教会を中心に演説会を行ないました。投獄された時に聖書を読み、大きな影響を受けました。そして、「聖書を読むよりは先ず聖書を実践せよ。聖書を空文たらしむるなかれ」と語り、聖書を古代の文献として読むのではなく、現実の中で聖書を実践することを大切にしたのです。
種を蒔く人が蒔いた種のように、神様の御言葉は、芽を出し、育って、実を結ぶようになるのです。それぞれの生活の中で、課題の中で、実践され、生活となり、生涯を導いてくれるのです。
この神様の見守りのあることを信じながら、祈る心を大切にしていきたいとおもいます。そして、主が命を育まれること、平和を望まれることを覚えながら、私たちの歩むべき道を大切に見定めていきたいと思います。