《説教要旨》『畏るべき方』 大澤 宣 牧師
マルコによる福音書 4章35~41節
「日本の民間放送、民放は戦争を知りません。国民を戦争に向かってミスリードしたという過去が民間放送にはありません。これからもそういうことがないことを祈っております」。久米宏さんの報道ステーションでの最後の言葉です。スポンサーの意向や視聴率を絶えず気にしなければならない民放ですが、人を恐れずに、毅然と立ち続けなければならないと語られました。
イエスは、嵐におそれあわてる弟子たちに「なぜ怖がるのか」と言われました。私たちはいろいろなものをおそれます。自然の嵐。この世の人の力による嵐。自分自身が弱っていくという内側から起こってくる嵐。不安を感じ、おそれを感じるとき、受け止めてくださる方に信頼していくこと、なお前を向いて生きていくことを示されるのではないかと思います。
説教題を「畏れるべき方」としました。畏怖の念を抱くという言葉も「おそれおののく」という意味ですが、うやまい、かしこまるという意味の言葉でもあります。私たちの力を超えた方、圧倒的な方に対して、身を慎み、かしこまる思いにさせられるということです。
イエスの弟子たちは、イエスを畏れる中で、もはや嵐をおそれるものではなくなったのです。
私たちも、それぞれの歩みの中で、おそれるべきではないものをおそれ、畏れるべき方を畏れないでいるのではないかと考えさせられます。
尻込みしようとする私たちに、イエスは「なぜ怖がるのか」と声をかけられます。おそれても仕方のないこと、またおそれるべきでないものをおそれて消極的になっていく私たちに、イエスは「なぜ怖がるのか」と声をかけられ、そして、本当に畏れるべき方に目を向けさせてくださるのです。
イエス・キリストを遣わされた神様を畏れることは、私たちに平安を与え、喜びを与えるものになるのです。私たちを超えた方を信じることへと向かわせられていること、私たちが喜びへと向けられていることを覚えるものでありたいと願います。