東神戸教会
〒658-0047 神戸市東灘区御影3丁目7-11
TEL & FAX (078)851-4334
 
Topページへ戻る
教会の紹介
礼拝のご案内
集会・活動
行事のご案内
メッセージ
牧師のページ
東神戸教会への行き方
HOME > メッセージ > メッセージ全文
メッセージ

20160904 『 教会へ行こう!PAX 』 エフェソの信徒への手紙 3:14~21

 先週2年に一度の同志社神学協議会が開かれましたが、最近出席するたび、私は何度も不思議な感覚を味わされています。例えば、そこには親しい川上盾牧師がいますが、息子のたすく君もいます。
 かつて各務原教会時代の信徒で、今は千葉県の教会で牧師をしている与那城初穂牧師もいますが、現在の各務原教会牧師の杉本和道牧師もいます。杉本牧師は神学生時代に住んだ大津教会の石井英道牧師の息子です。土佐教会時代の役員だった嵐護さんは今、琴浦教会牧師であり、東中国教区議長です。
 不思議な結びつきです。例を挙げるときりがありません。自分だけ感じているだけでなく、彼らも同様に不思議さを味わっていることでしょう。何と私が財務委員長であるのです。信じられんと彼らは言います。

 神学協議会は、同窓会でもあるので、それぞれ自分の学年の友だちと再会するのは嬉しい時間なのですが、決してただ自分の学年の友とだけの再会ではないのです。昔ほんの一時、どこかで会った人や、どこかの教区で一緒に働いた人、或いは同じ教会に務めた人。当時は、いつかこの集会で同じ参加者として時間を過すなど夢にも思わなかった人たちと一つとされそこに共にいる。集められている。その後を見つめあい、分かち合えることの不思議さと嬉しさをかみ締めさせられるのです。

 さて今日のテキスト、エフェソの信徒への手紙は、使徒パウロの名前を借りて書かれた書簡の一つです。著者は、この手紙を、神さまが作られた計画が啓示によって自分に示されたこと、それを伝えるために書き送ったのだと記しています。何度もその言葉が出てきますが、今日の3章9節にもこうあります。「すべてのものをお作りになった神のうちに世の初めから隠されている秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に解き明かしています。」と。

 パウロに成り代わって、こういう言葉を綴っている訳ですが、囚人として牢獄に繋がれたパウロ、或いは肉体に何らかの大きな障害を与えられていたパウロではあるけれども、クリスチャンを迫害していた頃のことも含めて、パウロの人生はすべて神の計画のうちにあるものであって、今現在は課題、重荷、過酷な現実としか見えないようであっても、必ずその後に続くものが備えられるのだ、と訴えているのです。
 その上で、エフェソの信徒のために祈りを捧げます。それが今日のテキスト部分です。ここで著者は「信仰によってあなたがたの心のうちにキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者として下さるように」と祈り、さらに「キリストの愛の広さ、長さ、深さがどれほどであるかを理解し、その豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」と祈るのです。

 40年前、私はイエスのこともキリスト教のことも何も知らない岡山の片田舎の一高校生でした。神さまは失恋という形をとって、私を教会に招いて下さいました。しかしもちろんその頃、牧師になろうなどとは夢にも思っておりませんでした。ですから決して真面目な信仰生活を送った訳ではありませんでした。
 その後鳥取の学生時代に学生YMCAというサークルを通して、キリスト者の大きな働きについて学びました。聖書の面白さに触れました。多くの人々に出会いました。そして思いがけず牧師になるという決意を与えられたのです。
 それから同志社に通うことになりました。全く予想もしなかった展開です。将来のことなど考えもせず、考えることもできぬまま、牧師になっておよそ30年の道のりを歩んで来ました。ただただ目の前のことだけをこなす以外になかった道のりです。

 けれどふと気がつくと、数え切れない出会いと交わりを与えられていることに何度も気づかされるのです。知らないうちに財産が増えておりました。救い主の愛の広さ、長さ、深さ。救い主に結ばれるとはこういうことを知らされることなのか、神学協議会で実感させられるのでした。

 エフェソの信徒への手紙の著者も、まさにこの事をここで語っているのです。人の知識をはるかに越えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ち溢れる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように、と著者が祈った祈りは、確かだったと振り返ります。

 私たち、自分の力でがんばらなきゃならないことたくさんあります。けれど全部自分の力で頑張るのではないのです。本当に必要なものは上から与えられるのです。今しか見えない、見つめることができない私たちに「その後」を備え与えて下さるのは、神さまです。その後とは、私たちの予想を超える人生の展開のことです。

 TBSで10年ほど前まで放映していた「学校へ行こう!MAX」という人気番組がありました。V6というグループが司会で、各地の学校を訪ねて、色々な学生たちを紹介する番組でした。海外でも放映していたのかどうか知りませんが、何と番組には英語名がついていて、「グルーヴィ アフタースクール マックス」と言いました。
 グル-ヴィとは、かっこいいという意味です。マックスとはマキシマムの略、最大限という意味。アフタースクールは放課後ですから、かっこいい放課後、つまり授業後、生徒たちが過ごす様々な時間を最大限に紹介するのが狙いの番組だったのです。

 教会もそうです。私たちの内に働くみ力によって、私たちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに越えてかなえることができる方がいらっしゃいます。信仰生活の放課後をかっこよく導かれるのです。このグルーヴィの元々の言葉はグルーヴ、これは溝を刻むという意味の言葉です。
私たちの救い主イエスは、私たちの心の中に溝を刻む方なのです。そうして主の愛に根ざし、そこにしっかり立つ者としていただくのです。私たちにとってそのことを学ぶ場所が愛の学校であるところの教会です。放課後に立ち上がるのは平和です。出会いを通し、交わりを通し平和が構築されて行くのです。ラテン語で平和のことをPAXと言います。

気持ちの良い秋の季節を迎えました。思いも心も新たに、教会へ集いましょう。PAXです。


天の神さま、わずかなものを手がかりとして大きな流れとなして下さるあなたのみ業に感謝します。依然、先の見えない私たちですが、あなたがいずれつないで下さる事を信じて委ねます。乏しい足取りを確かなものとなして下さい。
アーメン


 日本基督教団 東神戸教会 〒658-0047 神戸市東灘区御影3丁目7-11  TEL & FAX (078)851-4334
Copyright (C) 2005 higashikobechurch. All Rights Reserved.