東神戸教会
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メッセージ

20161016 『 わたし祈って増す 』 マタイによる福音書 7:7~12

  使徒言行録9章に、目が見えなくなったパウロがどのようにして回復したかについて記されています。ダマスコという町にアナニヤという人が住んでいて、そのアナニヤに神さまからの命令が下されるのです。パウロのところに行けと。
 しかしアナニヤはパウロのこれまでの悪行を聞き知っていました。ですから行きたくもないし、会いたくもない人物でした。どう考えても一緒に歩みたくない人間でした。それで率直に神さまに思いを伝えました。しかし、なお神さまは彼に「行け」と命じられるのです。
 嫌々であったでしょうし、逡巡もしたことでしょう。それでも神さまから命じられた、ただそのことだけを行動の拠り所としてアナニヤはパウロに会いに行くのでした。それにも関わらず、いざパウロに対面した彼の口から出た最初の言葉は「兄弟サウロ」という呼びかけでした。恐らく本人も思いもかけない言葉が口をついて出たのです。
 パウロにとっても、キリスト者であるアナニヤは、決して好ましい人物ではなかったことでしょう。目さえ見えなくされなかったら、それまでと同様迫害の対象であったに違いありません。そんな人物が面会に来るなど、或る意味屈辱の出来事であったかもしれません。ところが、その人物から「兄弟サウロ」「兄弟」という呼びかけを聞いたのです。パウロにも全く想像外の言葉でした。
 こういう出来事があってパウロは再び見えるようになり、元気を取り直した、そして回心したと使徒言行録は伝えているのです。
 一人の友人牧師が、この出来事を取り上げて、神さまがなさることは上から直接ご自分の手を伸ばして行われるのではなく、こうして人の心に呼びかけ、人が自ら動いて新たな関係を築くようにされるのだ、というメッセージをしたことがあります。たまたま聞いた私は本当にその通りだと思いました。
 さて今朝のテキストは、大変よく知られた「求めよ」というイエスのお勧めでした。「求めなさい、そうすれば、与えられる。」と。これだけ聞くと、誰でも何でも願いが聞かれるような気がして、何だかうれしくなってくるような言葉です。
 でもその一方で、私たちはそれは現実ではまずありえないことを知っています。求めたいものや願いが私たちそれぞれにたくさんあります。ですから、それが与えられるよう懸命に祈ります。しかしなかなか聞かれることが少ないのです。と言うより、聞かれない事の方が断然多いのが現実です。そこで、本気で祈ることから遠ざかってしまう。ま、どうせ聞かれることはないんだから・・・。そもそも神さまが本当に聞いていて下さるのかどうか疑問だし・・・。そうして諦めの方が先行してしまう訳です。
 確かにそうです。言うまでもなく、どんなに願うとしても、まずはその願いの中身が問われるでしょう。ただ自分の欲によるものなら、それはそうそう現実にはなりませんし、それは神さまに願う筋合いのものではないでしょう。
 でも、この子の命を助けて下さい、何とか心を平安にして下さい、というような非常に切迫した、祈らざるを得ないような類の祈りであっても、容易くは聞かれない現実を私たちは知っています。そこで不満を抱いたり、不平をつぶやいたりするのです。
 大体、自分の力や努力ではどうにもならないことを願うことが祈りであって、すべてご存知の神さまがどうにかしてくれるなら祈ったりする必要はない訳です。そんなことは分かり切っているのに、イエスの今日の言葉の意味は何なのでしょうか?
 むしろ、最後の言葉こそが最大のポイントであるのです。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」これこそ律法と預言者である、そう結ばれているのです。
 岩波書店版聖書では、「だから、あなたたちが人々からして欲しいと思うことのすべてを、あなたたちも人々にせよ。まさに、これが律法と預言者たちにほかならない」と訳されています。人々からして欲しいと思うことのすべてを、人々にせよ。
 人々からして欲しいと思うことで、そのまま人々にしてあげられることは、多分できること、イコールの関係ではないかと思います。例えば人々からちやほやしてほしい、持ち上げて欲しいと願ったとしても、それは自分はなかなかできないでしょう。と言うより自分はしたくないことです。
 人々からして欲しいこととは、ですからそういう一方方向の出来事ではなく、もっと普遍的なこと、温かく優しく接して欲しいとか、親切であって欲しいとか、そういうくくりの願いであるはずです。それをされる前にせよ、それが律法であり預言者たちの言葉だとイエスは言われたのです。
 ここで最初の使徒言行録の記述をもう一度思い起こします。アナニヤはパウロと友だちになりたかった訳ではありませんでした。むしろ友だちになどなりたくなかったのです。でも神さまがそこに彼を押し出した。そして思いがけない新たな交わりが生まれたのでした。
 与えられる者よりも与える者に。愛されるより、愛することを。などと時々聞きます。その通りだと思いつつ、なかなかできないことです。余りにも立派過ぎることのようにも思えます。
 でも、それは善を行え、立派なことをせよ、最終的に帰って来るわが身のために備えて投資をしておけ、というようなことではないのです。アナニヤとパウロ双方の間に思いがけない交わりが生み出されたように、かつての自分により勝って増し加えられる新たなものがあるということなのでしょう。
 来週、第40回教団総会が開かれます。何度か行っていますので、後ろの傍聴席の一角で、ボランティアが懸命にパソコンを打って速報を全国に出し続けています。教団総会に出席しない、できない多くの人々に向けて、まったく無報酬で、それどころか持ち出して2泊3日を過ごすのです。関心ある方は是非ご覧ください。事前に申し込めば誰でも読めます。それを読んでいると、徒労にばかり襲われる総会であっても、なお希望を燃やそうと何かしら心熱くされ、力を与えられる気持ちになります。
 イエスの語った「求めよ」、とは新たな人間関係のことではないかと思うのです。お金を出せば得られるようなモノではありません。それを求めるなら、神さまが聴きあげ、後押しして下さる、そう思えてなりません。
私たちは祈りつつそれを求め、そして歩み、結果増し加えられて行くのでしょう。その光景をともども見て行きたいと思います。昨年、そして今年、私たちは長年の信仰の友を天意に送りました。いまだに寂しい思いが続いています。でもきっと新たに与えられるのです。求めたいと思います。祈って、増すのです。


天の神さま、どうか私たちの祈りを聞きあげて下さい。新しい人間関係を作って行くために、私たちを用いて下さい。


 
         今日の花  
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