東神戸教会
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メッセージ

20161030 『 さよなら・いつか 』 ヨブ記 38:1~18


  先週教団総会へ出席して来ました。議長は冒頭で、今逮捕されているY牧師の件で総会中に抗議声明を出すと明言しました。ところが閉会間際になって「不当かどうか現時点で分からない」と言い、お祈りするに留めました。議案として提出されていた沖縄関連のものは、すべて少数否決または時間切れ審議未了廃案となりました。
 さて1959年6月30日のことです。沖縄の嘉手納基地を飛び立った米軍のジェット戦闘機2機のうち、1機の機体に異変が起こりました。乗っていたパイロットはパラシュートで脱出しましたが、制御不能になった戦闘機は、当時の沖縄県石川市(現・うるま市)の市街地に墜落しました。
 機体は約100メートルにわたって民家25棟をなぎ倒し、宮森小学校の校舎に突っ込んで爆発し、一帯が火の海に包まれました。その結果、子ども11人、一般人6人が死亡し、負傷者は子ども156人を含む210人、校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟と民家8棟が半焼するという大惨事に至ったのでした。
 後に整備不良が墜落の原因だと明らかになりましたが、米軍は今日に至るまで公式にそれを認めておりません。
 実はこの1959年は私が生まれた年です。もちろんまだ沖縄が日本に返還される前の出来事でもあって、大阪・大正めぐみ教会の上地武牧師から事件について教えられるまでは、ほとんど知りませんでした。 7年前になりますが昨年が、この宮森小学校ジェット機墜落事故からちょうど50年ということで、この事件を風化させてはならないとする現地の人々が集まりました。そしてフクギのしずくという舞台を立ち上げ、絵本も作成したのです。
 フクギのしずくのDVDを上地先生から貸していただいたので、見ました。子どもを失った母親役の女性の迫真の演技に、胸を打たれました。と言うより、犠牲者の数だけ、例え半世紀経っても決して癒されることのない深い悲しみと痛みがあるのだということを改めて思わされました。知らない事、関心のない事については、ついつい鈍感になってしまいがちな自分を反省しました。
 舞台には宮森小学校の子どもたちも出演していて、「いつになったら平和がやってくるのだろう」と10数名の子たちが叫ぶシーンがあるのです。それを聞いて、思わず「みんな、すまん!」と口走りました。なぜなら、現段階で沖縄から米軍基地が撤退する予定は全くないからです。辺野古に新基地を作らせては絶対になりませんが、現状では撤退どころか、いよいよ強化されるのが実情です。一番良いのは全面撤収です。ほんのちょっと自分の立場に置き換えれば、どうしてこんなことが許され続けるのか、憤りが湧いてくることです。でも動きそうにない現実を前にして、沖縄の子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

  今朝与えられたヨブ記。大変難しい書物の一つです。ご存じのように、ヨブは信仰深い人であり、同時に祝福を得て財産にも恵まれておりました。それが、悪魔の試みで、財産は失い、家族を次々奪われ、最終的にヨブ本人も重い皮膚病を患って苦しむ訳です。
 同情してやってきた3人の友人の主張がヨブ記のほとんどを占めます。彼らはなぜヨブがこんな目に合ったのかをそれぞれ語りますが、そのどれもが基本的に的外れであって、自分は正しいと信じるヨブを変えることができませんでした。
 これら3人の友人たちの言い分を整理すると、神さまが悪いことをなさるはずはないのだから、原因はヨブにあるというもの。それが罰であるかどうかは別として、今の苦しみは最終的にはヨブのためになるというもの。そして、その苦しみは神秘ではあるが、いつか謎の解ける日が来るだろうというものでした。
 それはらどれもこれも、はるばるやって来たにしては、肝心のヨブの苦しみにも嘆きにも痛みにも寄り添わない、傍観者の分析に過ぎませんから、ヨブが態度を変えないのは当たり前であって、苦しみはいや増すばかりであったのです。
 ところが、3人からあれこれ言葉をかけられても態度を変えないことに腹を立てたもう一人の友人が登場して、ヨブの態度は神さまの知恵を探ろうとしているものだ、と非難するのです。
 ヨブ記って、本当によく分かりません。そもそもなぜ悪魔の試みによって正しい人だったとされるヨブにここまでの試練が与えられなければならなかったのかと思います。ヨブが悩み苦しんだのは当然です。それなのに見舞いのフリをして登場する友人たちが、まるで傷口に塩をすり込むかのような、慰めにも励ましにもならない事を次々語りかけるのか、一体何なんだ?と思わされることが連続します。
 悪い時は重なると言いますが、まさしくこの時ヨブの頭は病からの疲れと、友人たちの言葉からの圧力、そして肝心の神さまの無言によって混乱しきっていただろうと想像するのです。一心に考え、求め続けることができず、むしろすべて忘れたい、もはや何も考えたくない、といった状態ではなかったでしょうか。
 そのヨブの混乱が、38章1節の「嵐の中から」という言葉に示されているのだと思います。神は見られなかったのではない、ヨブのそれらの混乱の一つ一つに神さまはずっと共におられたのです。「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。」
 神さまはまず、神になり代わってヨブに神さまの真意を伝えようした4人目の友人の傲慢さを指摘されます。これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは・・・。
 そしてそれに続いて、代理などではなくヨブ本人に答えよ、と命じて、ここから長い質問を続けるのです。今日は一つだけ。「私が大地を据えた時、お前はどこにいたのか。知っていたというなら、理解していることを言ってみよ。」
 一見厳しいです。41章まで続く神さまからの問いかけは、余りにも万能の神様に対して、一切の疑いをはさむ余地を許さない、無条件の信仰を要求されているかのようです。しかし、実はここでヨブへの問いかけの形で延々と語られている神さまの言葉は、その一つ一つが、その時どき、そのことごとに必要で、誠実になさった神さまの対応の証しであるのです。思えば創世記を通して、私たちは神さまが一日ごとに必要なものを生み、与え、最後に人を造られ、「見よ、それは極めて良かった」と語られた事を知らされています。 その広がり、置かれた基の柱、隅の親石、人を生かし育てる環境の一つ一つを造られたのは、他でもない神さまであったのです。それらはすべて神さまがいつもいつも「今」を働かれる方であることの証しだと思うのです。
 3人目の友人がヨブに言いました。今の苦難がいつの日か謎の解ける日が来る、と。 いつか、と言う言葉は必要な言葉ではありますが、しばしば曖昧な意味を持ちます。あくまでもいつかであって、確定しないからです。今度集まろうよ、などと言われる時、乗り気でない時に「そうやね、いつかね」などと答えるものです。もちろん本気で「そうやね、きっといつかね!」と答える時もあります。でも経験上、しばしば実現しないことを知っています。いつか、は便利だけど、逃げに近いのです。
 ヨブの置かれた状況を思えば、「いつか」では酷なことだったでしょう。そのヨブ自身に、「今」を要求することはもっと酷なことでしょう。ボロボロの状況の中で、ヨブよ、でも今、確かな選択をせよとは、ちょっと言い難いです。それでも神さまのヨブへの答えを一つ一つ聞いてゆくと、神さまはいつもその時々、そのことごとに必要な事を、必要なものを誠実に生み出して下さったと気づかされるのです。ヨブに求められたのはヨブ自身の努力に関わることではなかったのです。そうではなく、神さまが必ず必要を満たされるということ、聞かれない方なのではなく今一瞬一瞬を働かれる方であること、そのことがヨブに一番語られたメッセージではなかったかと思います。
 この神の力や思いを忘れ、私たち勝手に自分に無理をかけることはないでしょうか?いつか変わるから、と。偽って自分を造らないでいいのです。しんどい時、疲れている時に、確かな選択を神さまは求められないのです。それなのに、無理をして「いつか」という曖昧さに逃げてはいないでしょうか?
 分からない時は分からない時なりに、しんどい時はしんどい時なりに、その時の自分を偽らず、あせらず、生きれば良いことを神さまは教えて下さるのです。またそれ故に、今を叫ぶ叫びに対して、「いつか」という不確定な言葉を使ってはならないと知らされるのです。そこでは「今」に寄り添うことが求められるのです。神さまはそうして下さいました。

天の神さま、あなたの深い慈しみに感謝します。そこに固く立ち、私たちも真に慈しみによって生きることを得させて下さい。

 
今日の花
           
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