東神戸教会
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メッセージ

20161106 『 賭けの上のポニョ 』 創世記 13:1~18


 どこの国のことか定かでないのですが、幼馴染の二人が二十歳になった時、戦争が始まって、それぞれ兵士と従軍看護師として召集され、任務につきました。軍隊に入ってから彼は彼女の存在の重さに思い至り、検閲や互いの状況をおもんばかってたった一文字「?」だけの手紙を彼女に送るのです。彼女もあれこれ考えた末に返信します。その返事が「!」の一文字だけでした。やりとりは六年間でこれだけ。でも後日、終戦後再会した二人は無事結ばれるという、え~話でした。日本でも「君の名は」というドラマがありましたね。
 このえ~話、世界一短いラブレターの出来事は、西南学院大学神学部の宮平望教授が「ゴスペルスピリット」という本の中で紹介されていた話です。
 この話の原型は実はビクトル・ユーゴーと出版社との間でやりとりされたものだそうです。「レ・ミゼラブル」を書いた後、売れ行きを心配したユーゴーは出版社に「?」の一文字の電報を入れます。予想以上の評判を得ていた出版社は「!」一文字の返事を出し、ユーゴーはそれで十分に了解したそうです。
 ?マークは、ラテン語の質問という言葉クアエスティオのQとO、!マークは同じくラテン語の驚きを表すIとOをそれぞれ縦型に組み合わせたものですが、この物語にせよ、ユーゴーと出版社のやりとりにせよ、「?と!」のたった二文字の間にある背後の深い思い、これこそが世界一短い応答に重く込められていることを思うのです。
 ユーゴーは実はそもそもレ・ミゼラブルの中で、「?と!」のやりとりを何度か登場させています。ユーゴーがこの短い応答をもってレ・ミゼラブルの中で表したかったことがあるのです。それは、神さまの愛は人間を徹底的に生かし、死の後にも生き返らせる肯定の愛だ。人間はパンで生きている以上に肯定で生きているのだ、と宮平教授は言うのです。これで良いのかという人間の側の?に対して、それでいいのだ、あなたは愛されているのだという神様の側からの!の応答です。それは短い応答ですが、重いのです。そしてこの応答の前提になったのが私たちの聖書です。疑問符と感嘆符の間がどんなに深い関係を持っているかがしるされています。その意味で聖書は、すなわち神さまから人間への世界で一番長いラブレターだ。そう宮平先生は書いていらっしゃいます。

 さて、そのラブレターの最初に創世記という物語が記されています。まだアブラハムがアブラムと呼ばれていた時代のことが今日の14章に描かれています。アブラムには当時まだ自分の子どもがいませんでした。代わりに甥のロトが一緒にいました。二人とも大きな財産を持ち、一大集団を形成していました。それに伴って二つの集団に争いごとが増えて来ました。
 そこでアブラムは「あなたが左に行くなら、私は右に行こう。あなたが右に行くなら、私は左に行こう」と分かれて暮らす事を提案したのです。ロトはこの提案を受けて、ヨルダン川流域の東の低地一帯を選んで出て行きました。
 そこにはソドムという町がありました。邪悪な町として有名でした。13節にも、ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた、とあります。その町をも含めてロトは移り住んだのです。
 その選択はロトにとっては、意識したことではなかったでしょう。10節にあるように、そのヨルダン川流域一帯は、主の園のように、エジプトの国のように、見渡す限りよく潤っていた、そう見えたから選んだに過ぎないのです。きっと誰でも選びたくなるような、そんな土地に見えたのです。

 そもそもアブラムがロトに出した提案そのものも、何かを意識したものではありませんでした。甥っ子のロトと争いごとを避けたかっただけです。自分の方がロトより良い場所を選ぼうと画策したのでもありません。それで、あなたが右なら私は左、あなたが左なら私は右と、一種の賭けのような、敢えて言えば相手任せ、後ろ向きともいえるような提案をなしたのです。
 二人とも特別何かを意識したのではなかった。結果的にロトはソドムをも含めた見た目の経済的繁栄の地を選びました。アブラムはただただ争いを避けた提案をして、残った地を選んだに過ぎませんでした。けれどもその結果、神は、アブラムに目を留められたのです。そして一層の繁栄を約束なさったのです。それはアブラムの?という問いかけに対する神の!の応答でした。

 この物語は、何かの確信を持って行う事ではなくても、神がどこに目を留めて下さるか、答えて下さるかをよく示しています。私たちも同じなのです。いつも固い確信を持って、特別な行動を取れる私たちではありません。むしろ、無意識に、深い思考を持たずに、毎日の選択を取っていることがほとんどです。或いは何も分からず疑問だらけの中で、それでも何かを求めて右往左往している。そうでしか生きられない私たちです。けれども、その選択を通して、問いかけを通して神が目を留めて下さる場合があるということです。 今年は「君の名は」というアニメ映画が人気でしたが、常に過去の人気ベストテンに入っている「崖の上のポニョ」という宮崎はやお監督のアニメ映画があります。魚の子どもだったポニョが、コースケという保育園の男の子と出会うのです。そして彼に会いたい一心で、海から出て崖の上に立っていたコースケの家までやって来ます。その出会いから起こる出来事が描かれた映画です。一言で言えば、コースケに対する愛が原点の映画だと言えるでしょう。その行動が何を引き起こすかどうか、などといった思慮などないのです。魚が人間の女の子になること自体実に突拍子もない話なのですが、それによって当然それまでの生態系が壊されてもしまう訳です。無謀とも言えるし、賭けと言ってもいい。まさに「?と!」のやりとりのみのお話。でもそんな正直で真直ぐな愛の思いがストーリーの中心なのでした。

 最初に紹介した世界一短いラブレターの話も同じです。もう一度再会できるか、戦時中、また戦後の混乱の時期にあって、何も確証はない。ましてや結婚できるとも思えない。あるのは再会への賭けのような愛の思いだけなのでした。信仰というある意味もどかしい崖の上に立っている私たちも、ポニョに近いかもしれません。
 けれども、賭けのような思いを聞き上げて下さる方がいると知らされます。事実、神は聞いて下さる方なのです。ギャンブルで家は建ちません。しかし欠けいっぱいの存在であっても、愛に向う私たちの思いを神は聞き上げ、取り結んで下さるのです。問いかけをよしとして、答えて下さるのです。

私たちの信仰は、見える確信によるものではなく、見えない神の思いを証ししてゆくことにあります。それは確証がないものですから、賭けとしか言いようがありません。けれども、その賭けに立つ者を神さまはお忘れにならないのです。「?と!」のはざまに大事な思いが込められています。どうせ聞かれないとあきらめないで、この賭けに乗って、神さまに問いかけてみませんか?



天の神さま、あなたは私たちのすべてをご覧になり、聞き、受け入れて下さり、最もふさわしい応答をして下さいます。感謝です。あなたに問いかける勇気を与えて下さい。


         今日の花  
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