東神戸教会
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メッセージ

20161120 『 この未知はいつか来た未知 』 イザヤ書 51:4~11

今日からアドヴェントに入りました。毎年やって来るクリスマスは、イースターやペンテコステと違って、必ず日取りが決まっていますね。そしてイエス様の降誕について、私たちはそのストーリーをよく知っています。

にも関わらず、私たちはクリスマスを心から待ち望みますし、喜びを重ねる訳です。毎年来るけど、一度として同じクリスマスであったことはありません。天候や健康やメンバーは言うまでもありませんが、何よりもイエス様の降誕に関して、毎回新しい思いを与えられるからでしょう。それが、クリスマスが大いなるマンネリと称されるゆえんでしょう。

いつもほぼ同じコースをたどって歩く、犬の散歩道もそれに似ていたなと振り返ります。15年飼った犬が亡くなって一年、ようやく寂しさが癒えて来ました。思えば、仕事がない限り、体調が悪くない限り、年間300日以上、朝と晩、犬と歩きました。それを15年続けたのです。でも、不思議なことに飽きたりはしませんでした。なぜなら、同じ道のりでありながら、日々違う発見をするからです。それは大きな発見ではなく、小さな発見の連続です。こんなところにこんな植物が咲いていた、あそこに新しい家が建った、途中で予想外の人と出会った、思いがけず100円拾った・・・、と言うような、誠に小さくわずかな出来事、でもそれが思いのほか、平凡な日常を豊かに彩るのでした。

それに比べると、今日読んだテキスト、イザヤ書の背景は何とも重く、苦しい日々であったことでしょうか。想像力をたくましくして思い浮かべたいのですが、おおよそ半世紀、50年に渡って異国の地バビロニアに捕囚されたイスラエルの民たちでした。そこは故郷ユダヤとは全然違う土地である訳です。しかも捕囚の身です。バビロニアにあって、一切の希望が断たれた50年もの長い幽閉の日々。いつになったら解放されるのか、悲しみも嘆きも、いつしか諦めと無感覚へ変わって行きました。それはそもそも彼らの不信仰によるものではありましたが、かえってそれが諦めを増して行く悪循環となってしまいました。

東日本大震災の被災者、中でも福島原発事故の被災者は、バラバラにされたそれぞれの避難地での生活がもう五年以上続く中、それでも「いつの日か戻る」ことを一筋の頼りとし、希望として今を生きておられることでしょう。しかし一向に進まない事故処理の模様を垣間見ながら、心のどこかで「ひょっとしてもう無理ではないか」というつらい諦めが迫ります。追い打ちをかけるように無慈悲な仕打ちが起きます。避難した場所でいじめを受けるのです。足元が崩れ落ちてしまいそうな、不条理極まりない現実です。

もはやイスラエルに帰ることなどあり得ない。自分たちはこの異国バビロニアで、心を失った仮住まいの民として夢も希望もなく生きてゆくしかない。そんな境地に陥っていた人々に、予想もかけない帰還の許可が出されました。けれどもそれは遅かったのです。大方の人々は、余りにも厳しい現実の故に、力を完全に奪われておりました。残念無念、余りに遅すぎました。

その諦めの民たちに向けて、神さまの声が預言者イザヤに預けられました。「わたしの民よ、心してわたしに聞け。」と。例えどんなにこの世の苦難が重くあなたたちを覆っているとしても、真実の教えはわたしから出るのだ、と神さまは語られたのです。

私たちが力を失うのは、確かにこの世で起こる出来事によってです。その時々の時代の価値観にもよります。それに乗って語られることや行われることが、人々の心から自由と希望を奪い去って行きます。イスラエルの民たちを恐れに追い込む心ない流言が飛び交いました。今更帰ったところで何になるか。50年もいたのだから、もはやバビロニア国民として生きるほうが得策ではないか。苦労を再び重ねる愚を犯すでない。

こんな言葉が飛び交う環境にあって、神さまは繰り返し語られるのでした。「わたしに聞け」と。あなたがたは正しさを知り、わたしの教えを心に置く民ではないか、と呼びかけます。そして「人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。」「奮い立て!奮い立て!」と励まされるのでした。

昨日と今日と明日、それが26日、27日、28日と3日続く喫緊の時間だけを指すならば、私たち何も変わり映えのしない現実に特に期待することはないのでしょう。どうせ同じだという皮相的な感覚しか生まれないことでしょう。

けれども、もっと長いスパン、すなわち神さまの歴史の時間で見るならば、今日たとい辛い現実に満ちていたとしても、昨日は恵みだったことが分かるのです。先週、私たちは今年神さまから頂いた数々の恵みを感謝して、収穫感謝の礼拝を守りました。この礼拝を昨年も守ったのです。昨年も神さまに数々の恵みを頂いたことを感謝しました。そして今年も感謝したのです。神さまが下さる恵みは次に継がれ、なくなることはないのです。必ず明日が与えられるのです。今日どんな痛みと悲しみがあろうと、明日は「喜びと楽しみを得、嘆きと悲しみは消え去る」のだと信じたい。

一方今年もクリスマスどころではない人たちがおります。本当に辛い今日です。でもイエス様は再び来て下さると約束なさいました。その約束を思い起こすアドヴェントの時です。悲しみを引きずりながら、この希望に生きる者とされたいのです。


最後に高見順という詩人の「同じ道」という詩を読んで終わります。

「はじめは  同じ道を散歩するのが  つまらなかったが
 だんだんと  同じ道に親しむと  同じ道を歩くのが楽しくなった
 同じ道でありながら  毎日何か新しいものを見せてくれる
 それが新しい道でなく同じ道であることによって 楽しいのであった
 今朝は  アレチノキクのはびこった寂しい踏切に
 ちんちんちんとベルがひとりで鳴っていて  楽しかった」

道とはきっと、イエスと共に歩む信仰の道でもあるに違いありません。


天の神さま、今年もみ子の誕生を待ち望むアドヴェントの時を迎えました。私たちの心を新しくして、クリスマスを静かに、また熱く迎える者として下さい。

                                                
                                                     今日の花  
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