東神戸教会
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メッセージ

20161204 『 君に追い風が吹く 』 ルカによる福音書 1:46~55

 私は8年半前に大腸癌の手術をしました。その入院ですが、何と手術の翌日から歩かされたのは実に大変なことでした。30センチも腸を切った訳です。起き上がるだけで地獄。まだ縫ったばかりで内臓がどっと落ちてきそうな感じに包まれました。それと言い知れぬ痛みとで、お腹を片手で押さえながら、腰を曲げ、点滴のキャスターにすがるようにして、一歩を踏み出すのでした。始めの日は10メートル歩けたかどうかでした。震えるような思いでした。
 それでも数日のうちには少しずつ距離を伸ばして、病棟の端の方まで一日3往復できるようになりました。そしてその時に、私と同じ姿で歩く人たちに気づいたのです。一目で同じ開腹手術を受けた方たちと分かりました。最初はお互い口を聞くこともできませんでした。痛いからです。でも顔も見慣れて来ると、少しづつ自然に会話するようになりました。そこにあったのは、ただただ同じような手術を受け、治療を受けている者が持つ連帯感だったと思います。「いよっ、ご同輩!」という感じです。体験した者だけが持つ憐みの共感がありました。でも、妙に嬉しかったです。「しんどいですよね。大変ですよね。」そんな事を交わすだけの挨拶が、次第に回復への後押しとなって行きました。
 さて、西南学院大学の宮平望先生が書かれた文章の中に、衝撃的なものがあります。
それは、イエスは何かしら精神病を患っていたか、或いは精神病的な性質を持っていたのではないかという推測です。そうであればこそ、イエスは健常者とは違って、精神に病を抱える人々を優しく見つめられ、受け入れることができたのだ。或いは当時の常識に反するような言葉を大胆に語ることができたのだ、というのです。
 それは元気いっぱいの救い主というイメージを持っている人に対しては、なかなか大胆な予想ですが、しかし案外そうかもしれないと思うのです。どんな病であっても、それを同じく体験する者には単に同じ病ということ以上の感情の交わりが生れます。病が重いものであればあるほど、同じ病の人々と交流することが、回復を早めたり、心を維持するのに大きく役立つと聞いています。
 いのちのことば社の小冊子に斉藤登志子さんが「ウツと上手に付き合うには」という文章を書かれています。その斉藤さんの自己紹介が何とも楽しいのです。「1957年生まれ。人生の三分の一以上をうつ病患者として過し、現在も記録を更新中。二男二女の母親のかたわら、翻訳業にも携わる。特技;ふて寝、ドタキャン、プチ家出。
 彼女はずっとうつ病を患っていましたが、何年か前、初めての入院生活を送られたのです。もちろん精神病院で、です。こう書いていらっしゃいます。
 「それまで、慌しい生活を送っていた私は、食事とお薬の時間を待つだけの入院生活で少しずつそれまでの疲れが癒され、硬くなっていた心がほぐされてゆくのを感じました。しかし何よりも私を慰めてくれたのは入院している人たちの優しさでした。この人たちの中にいれば傷つけられることはないという安心感が持てたのです。」
 そう書かれて、入院中に出会った何人かの人を紹介しているのです。その最後の方についての文章を読みます。
 「退院の朝、一人で窓の外を眺めていると、みんなからゆうこちゃんと呼ばれている人が近づいてきました。この人はどう見てもおばあさんなのですが、誰に対しても「お姉ちゃん」と呼ぶのです。色々な事を話しかけては来るのですが、よく意味の分からないことがほとんどでした。ところが、この日に限って、とても明瞭に自分のことを語り始めました。「3番目のおかあさんは私にご飯をくれなかった。それで私が泣かなかったら、どうして泣かないのと怒った。おじいさんと二人で暮らしていたけど、おじいさんは死んじゃった。(とても哀しそうな顔をした)。私は死んだ事にして、ここに来たの」。
 その時、私はゆうこちゃんの中にイエス様がおられるのに気づきました。それまでマザー・テレサが貧しい人の中にキリストを見る、と言っているのは比喩だと思っていました。けれども、今ここに、ゆうこちゃんの中に紛れもなくキリストがおられるのだと実感したのです。傷つき、愛されたいと願っておられるイエス様が。」
 私はこの文章にも衝撃を覚えました。傷つき、愛されたいと願っておられるイエスがゆうこさんの中におられる。私もこれまでイエスはもちろん、病む人、或るいは貧しい人、課題を負う人々のかたわらにおられ、その重荷を共に負って下さる方だと思って来ました。しかし、イエス自身が傷つき、愛されたいと願っておられたとは思いもしなかったのです。イエス様が負われる重荷は、その人とは別物という思い込みがどこかでにあったのです。やっぱり元気に活躍したイエス像が心の底にあったのかもしれません。
けれども、斉藤さんが言われるように、本当はイエス自身がその相手と同じように傷つき、愛されたいと願っておられる。そのイエスが共にいて下さる。そうであればこそ、私たちの中に神様の時が流れ込むのであって、またそうであればこそ、斉藤さんに優子さんを通してイエス様の姿が見えたのだと思うのです。
 斉藤さんがゆうこさんの中に見たイエスは、つらく哀しく寂しい人生を歩んで来たゆうこさんとまさに共にいて、共にいただけでなく、彼女と一緒に同じ思いを抱いておられた、ゆうこさんと一体となったイエスなのでした。
 ブレンダ・ポインセットというアメリカの女性牧師がいます。「うつになった聖徒たち」という本を出しています。この中で、聖書に登場する11人を挙げて、モーセもパウロもハンナもみんなうつだったと書いています。うつだったけれどもみんな神さまに守られて生きたのだと。守られてというより、そこに共に神さまがおられ力を与えられたのだ、と。そして彼女自身もうつ病を患っていたのですが、「私が神さまに見捨てられたと思っている時、神さまはかたときも離れず私のそばにいてくださいました」、と告白しているのです。
 アドヴェントに当たって、マリアの賛歌、マグニフィカトと呼ばれるテキストを読みました。思いがけない妊娠を知らされたマリアが歌ったものとして有名な賛歌です。大変感動させられます。けれども、マリアの体験は、私たちの想像以上の、尋常ではない大変な体験だったと思うのです。
48節で「身分の低い、このはしためにも、目を留めて下さったからです」と訳されていますが、岩波書店版の聖書では、ここは「そのはしための悲惨を顧みて下さったからです」という訳がなされています。この訳の方が、原文には近いでしょう。
 しかしこのはしためも、本来は「神の女奴隷」(ドウレー・アウトゥ)という意味の単語です。悲惨(タペイノーシス)とは、卑下とか辱めというような事に関係する言葉です。マリアは、女奴隷の悲惨を神が顧みて下さったと歌ったのです。女奴隷の悲惨とは一体、どんな悲惨が彼女を襲ったのか、と想像します。
 絹川久子さんは、このマリアの経験について、次のような文章を書かれました。
「彼女もヨセフ以外の男性によって深刻な性的脅迫を受けて妊娠に至った可能性が非常に強い事が明らかになってきます。婚約者がいながら性的関係を迫られ、犯された女性が通らねばならない懊悩や苦しみが、悲惨としか言いようのない事件として捉えられたのです。倫理的な責めにおののき、恥を感じずに過すこともできず、社会的にも阻害され軽蔑の対象とならざるを得ないような複雑でスキャンダラスな事件にマリアは遭遇してしまいました。居場所すら失った悲しみと絶望の底で、人には求めることのできない救助の手を、彼女は神に求めました、立つ瀬のない状況で子どもをもうけてしまい、出どころをまったく失った暗闇で母マリアの経験したことは、神がマリアとその子の救い主として行為されたことだったマグニフィカトは唱っているのです。」
 私の連れ合いがかつて沖縄研修旅行に参加した時、戦時中、あの沖縄戦において、ガマの中で自分の母親に手をかけた金城重明牧師の話を聞きながら、そこに金城牧師に連れ添ったイエスの姿を見た、と帰って来て報告しました。
 マリアのこの深刻で残酷な経験の痛みをその深みにおいて共感することなくして、マグニフィカトの真髄に触れることはできないのではないでしょうか、と絹川さんも書いております。悲惨の極みに、同じ悲惨を負いながら共にいて下さる方がいたのだという涙の喜び、そしてそこに満たされた次へ進む力への感謝をマリアは歌ったのでした。
 もちろん、私たちはできればいつも元気に生きてゆきたいと誰でも思い願うことでしょう。少々課題があっても、固くそれを乗り越えたいと思っています。今ちょっと上手く行かないことも、きっと良くなるときが来ると不安の中にも信じています。信じようとします。それは決して間違いではありません。
けれども、不安と恐れを乗り越え、未来を越える真の追い風は、実はもう既に私たちの元に与えられてあるのです。尋常ではない事態の中でさえ、そこに共におり同じ思いを抱いて呻いて下さる方が送られてあるのです。私はそれをこそ信じたいと思います。


                                                
                                                     今日の花  
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