東神戸教会
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メッセージ

20161218 『 大きらい、でもありがとう 』 マタイによる福音書 11:2~10

  子どもの頃「ありがとう」というテレビドラマがあって、母親がえらく好きでよく見ているのを横で見ていました。「渡る世間は鬼ばかり」の昭和バージョンのような内容で、結構家族でケンカばかりしている割には、タイトルは「ありがとう」というもので、子どもの私にはちっとも面白くないのですけど、時には泣きながら見ている母親が不思議で、でも何となく、ケンカしていても本当に嫌いなのではなくて、敢えて言えば「大好きじゃない」という、好き・嫌いを超えた、違うジャンルの感情が人間にあるのだと、子ども心にも分かったような気がしました。
 さて、ジャン・ジオノという人が書いた「木を植える人」という物語を思い出します。一人の老羊飼いがどんぐりを拾っては植えてゆく。10万個植えても芽を出すのはその五分の一、更に育つのはその半分にも満たない。ですから気の遠くなるような作業です。それでも老羊飼いはたんたんと続けるのです。そしていつしか見事な自然が荒野に再生してゆきます。目立たない、誰にも覚えられない存在ですが、しかし自然のサイクルの中にゆったりと穏やかに生きる美しい生き方を描いた物語です。現代の生活スピードに慣れた私たちにとって、なかなかできない、むしろ「大好きじゃない」生き方で、けれど何かを示される本だと思います。
 今日与えられたテキストは、牢に捕らえられたヨハネがイエスの噂を聞いて、イエスの元へ使いをやったという箇所でした。というのは、ヨハネは自分の後からやって来たイエスが本当に「来るべき方なのか、それとも違う人なのか」という事を尋ねたかった訳です。
 これに対してイエスの答えは「そうだ」でも、「そうではない」でもなく、4節以下にあるように、ヨハネの弟子を通して「行って見聞きしている事をヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」というものでした。そしてその後群集に向ってヨハネについて語られ、ヨハネが偉大な預言者である事を証ししたのです。読んでいただければ分るようにそれは最大限と言ってよい評価だと思います。
 しかし11節、「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」という言葉が非常にひっかかるのです。ヨハネはイエスも認めた大変偉大な預言者であり、イエスの活動の道備えを確かになした人なのです。
イエスはヨハネからヨルダン川でバプテスマを受けました。その折ヨハネははっきりとイエスを認めて「自分はその方の履物を脱がせる値打ちもない」とまで語っているのです。
 そんなヨハネがどうして牢にいたかというと、ご存知のようにヘロデ王から疎まれたからです。ヨハネは確かに正しい人であり、それゆえにヘロデ王の悪事の現実・所業を遠慮なく忌憚なく糾弾しました。その結果捕らえられ、最終的には首をはねられるという痛ましい最期を迎える事になったのです。
 牢に入れられたヨハネは、迫り来る危機を前に弱気になってしまっていたかもしれません。相手はヘロデです。かつて一度は明らかにイエスを認めて告白をなしました。でも今やイエスが救い主であるかどうか、迷いが生じてしまった。それは多分死を目前にし、一旦受け入れた彼が、自分の務めや人生や働きについて、意義を見失いかけていたからではないかと推測します。このときのヨハネの状況を考えれば無理もないのです。
 でもそこにヨハネの無理があったのです。その無理が心を乱していました。自分はいったい何なんだろう。もしかしたら、イエスのほうが今有名になっているが、自分は本来もっと大きな仕事ができたはずという羨みややっかみが心の片隅に宿ったのかもしれません。もしかしたら親戚関係、血縁関係があるお互いへの近親憎悪もあったかもしれません。一番の問題は偽りでした。自分を必要以上に卑下することも、必要以上に大きく見せる慢心も、ともに偽りだったのです。
 イエスはヨハネの使いに言葉を託しました。それは与えられたこと、必要なことを必要なだけ果たす、イエスに託された務めについてでした。ヨハネは神からの言を伝える務めが託され、それは十分果たされたのです。でも神からの言葉を一歩進め、その中に、友と一緒に友の中で生きることは、イエスに託された務めでした。だからヨルダン川を去りました。そこがヨハネとイエスとの違いだったのです。それが私の務め、私に与えられた務めだと伝えたのです。
 ヨハネはそれを見失いかけていた、そしてあきらめかけていました。そのヨハネの心情をイエスはしっかり見つめておられました。あのヨハネでさえ人間は本当に弱いのでした。
 諦めや羨みは弱い私たち人間にとってみれば、致し方のない感情のように思えます。けれども、イエスはそうではない、そこからの歩みが大切なのだと事を語り伝えたのです。羨んでも、ひとたび諦めても、おしまいではない、終わりでもない。そこからもう一度歩んで、自分に与えられた務めをなす事。それは苦しい事ではあっても、本当はどんな状況にあっても希望はあるし、希望を抱いて生きることもできる。だからこそ、イエスの業は必要なところに必要な力として与えられたと牢獄のヨハネに語り伝えたのです。
 目の見えない人が再び見えるように。耳の聞こえない人が今一度聞こえるように。足の不自由な人が歩けるように。ヨハネにもヨハネに必要な解放の言葉が伝えられました。ヨハネにとってもしかしたら少々うざい、やっかいなものだったかもしれません。事実、真実を目の当たりにさせられることは時に苦痛だからです。ただそれでもイエスの思いはきっと伝わったでしょう。ヨハネは苦笑いして思ったことでしょう。分かった、イエスよ。今更遅いし、ちょっと重いけど、でもありがとう、それぞれに与えられた務めがあったのだな、あとはイエスお前にすべて任すよと。
 木を植えた人、老羊飼いのエルゼアール・ブフィエは作者ジャン・ジオノの空想上の人物でした。しかしかつて18世紀、アメリカに本当にりんごの木を植え続けた男がおりました。実際に木を植えた人がいたのです。男の名前はジョン・チャップマン。通名ジョニー・アップルシードとして知られています。ジョンは1774年マサチューセッツ州で生まれました。3歳の時にお母さんが亡くなり、父親は再婚しますが、愛情を受けることなく寂しく育ちます。10代の後半からりんご園で働き家計を助けるようになりますが、いわゆる開拓時代のアメリカ各地へりんごの木を植えるために、種を満載した2隻のカヌーで出発します。そしてオハイオ川を下り、ペンシルベニア州、オハイオ州、インディアナ州へと旅を続けて行きます。23歳の時でした。
 リンゴの種を分け、木を植え、果樹園を各地で育てながら同時に、どこでどういう学びをしたのかまだ知られていませんが、キリスト教の宣教師としても福音伝道の働きを続けました。
 各地に自分の農場を持って、そこでりんごの木を分けるための苗床を作り、貧しい人には無償でりんごを贈り、自然と動物と子どもを愛して70歳で天に召されました。彼の心優しい活動は土地のインディアンたちにも受け入れられ尊敬され、そうして様々なところでりんごの栽培が行われるようになったのです。よく知られているようにアメリカ人の好きな食べ物の一つがアップルパイですが、それにはジョニー・アップルシードの働きが大いに貢献しているのです。大西洋横断で知られるリンドバーグの娘であるリーブ・リンドバーグが「りんごの木を植えた男」の詩を書き、絵本にもなっています。
 イエスは希望を失わないための働きを担い続けられました。それによって私たちも力づけられ励まされて今日に至っています。りんごの木を植えるとは、希望を失わないための、そして希望を与え続けるための働きを象徴しています。つまり後に続くため、後に続けるための作業です。
それはしんどいことです。大嫌いです。苦手ですと、私には無理ですと叫びたくなるような作業でしょう。でも、お陰で感謝に変えられる作業でもあるのです。ヨハネは或いは、イエスの存在がどこかで苦手だったのかもしれません。けれども、イエスの言葉に支えられたのです。敬遠したけど、でも気になる存在。大嫌い、でもありがとうの世界でした。
 ヨハネはイエスに洗礼を授ける大きな道備えをなしました。それから1800年。アメリカでジョニー・アップルシードはりんごの木を植える人として生涯を終えました。ジョニーすなわちジョンとは英語読みであって、ギリシャ語で発音するとヨハネです。そしてヨハネとは神は恵み深いという意味です。
 私たちも私たちのりんごの木をそれぞれに植えて見ませんか?具体的にはどんな仕事が与えられるか分かりません。人それぞれ違うからです。でもその人に相応しい何かが与えられるはずです。まずは他の誰でもない自分の心にイエスというりんごの木を植えたいと思います。そして、そっと呟きましょう。大嫌い、でもありがとう。実は信仰生活は、そういう世界の連続でできているのです。


天の神様、到底超えられそうもない壁もあなたから見る時、不可能ではない事を諦めない人々の生き方から教えられます。誰よりイエスから知らされます。困難なことかもしれません。でも私たちも天の国に招かれたのです。木を植える事において後に続く者とならせて下さい。



                                                
                                                     今日の花  
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