東神戸教会
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メッセージ

20170101 『 お正月には顔上げて 』 マタイによる福音書 2:13~23

 毎年お正月に思うことですが、昨日と何が違うかと言って、特に今日1月1日の空気がピリッとしているように感じます。澄んでいて、張りがあるような感じがします。例えば工場が休みで、車もあまり走っていなくて、空気がきれいだからなんでしょう。それだけでなく、それぞれの多くの家庭で、昨日までに大掃除を済ませ、ゴミを片付け、町中に清潔感が漂っている、何か匂いがある訳ではないんだけども、お正月の匂いがする。そんな気がする。こうした雰囲気が新しい年の始まりに良い緊張感を与えているのかもしれません。

 さて私たちは先週クリスマスを迎えましたが、毎年言いますように、ナザレからベツレヘムへやって来て誕生から8日めに、天使のお告げどおりヨセフ・マリア夫妻は「イエス」と名づけました。聖書にはそう記されています。イスラエルの数え方だと、25日から8日目とは今日になります。ですから今日元旦の礼拝、新年の礼拝を命名日礼拝と言う訳です。

そして1月6日が公現日、この日東の博士たちがはるばるベツレヘムを訪ねてイエスを拝んだ、ということになっています。この日までがクリスマスに関わる行事です。

けれども、更にルカによる福音書の記述によれば、マリアの清めの期間が終わって、いわゆるエルサレムの神殿への宮もうでがあってその後彼らはまたガリラヤのナザレに帰って行ったとあります。計算すると、ここまでが誕生から33日プラスαくらいになるのです。

貧しいヨセフ・マリアたち、しかも幼子を抱えて、この一か月のうちにベツレヘムからエルサレムまで本当に行ったのだろうか、疑問だ、という学説が実はあります。私もその疑問に賛同します。それもそうだし、とりわけルカによる福音書2章の41節には、「両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした」とありますが、それは現実にはとても無理だったとはっきり思います。

ただベツレヘムへやって来た事情。マタイ福音書の、皇帝アウグストゥスの命令による初の人口調査がありました。キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録だったということです。今日は詳しくは言及しませんが、このキリニウスという人が案外仕事の失敗が多かった人なんです。で、皇帝から託された最初の人口調査という大役に対して、それまでに犯した失敗をなんとか名誉挽回ということで相当張り切っていたと思われるのです。

これは貧しいから行けない、事情ある人は勘弁してあげようというような緩い態度を取ったとはどうも思われない。ローマ帝国はそこまで甘くない。是が非でも、できるだけ正確な調査を、忠実に調査を実行しようとしたに違いない。そのことを想像すると、少々事情を抱えていたとしても、お金の工面に苦労したとしても、ヨセフ・マリア夫妻が無理してナザレからベツレヘムまでは行ったのだと思われます。

彼らは何とかかんとかたどり着いたのでしょう。そしてそこで出産したのです。それからずっと馬小屋に寝泊りしていたかどうか定かではありません。ただ赤ちゃんを産んだばかりのマリアとすれば、適した場所ではないにしてもしばらくは体を休ませなければなりませんし、また住民登録のために人が押し寄せ、宿屋がすぐに空いたとも思われません。無論お金も乏しかった。東方の博士たちからの贈り物がいかほどのものであったか定かではありません。ですから本当に宮もうでのためにエルサレムまで行ったかどうかは別として、この馬小屋にしばらくの間寝起きしたのが現実だったろうと想像します。

かつて幼稚園の園長をしていた頃、秋の遠足はたいてい動物園か大学の農場でした。農場には牛や馬や羊などがいます。そこへ子どもたちを連れて行くと、一番最初に出る声は「わっ、くさ~!」というものでした。正直私もいい匂いだとは思いません。でも子どもの頃母屋の中に牛や馬がいるという環境で育ちましたから、嫌ではないのです。むしろ暖かい懐かしい匂いなんです。私にとっては臭いと顔をしかめるような匂いではない。

第一、勝手に牛舎に入っておいて、いきなり「くさ~」と叫ぶのは牛に対して失礼です。だから「臭くないぞ、いい匂いだぞ」などと園児に言うと、たちまち「園長は鼻がおかしいんや」などと攻撃されていました。まぁそれでもそこは園児ですから、最初は臭がっていても、すぐに慣れて楽しく過ごすんですが・・。

いつの頃からか、私たちは臭いに対してとても敏感な時代に生きるようになりました。何でもかんでも消臭とか防臭とかに満ちた現代です。お父さんの匂いが嫌いじゃないのに、みんなから匂いがしないよう強要されていて残念という少女の投稿が最近ありました。そんな良い子は滅多にいないんで、普通はお父さんの洗濯物は別にするのです。汗の匂いにしても、トイレの匂いにしても、はたまた時に料理の匂いですら、匂うこと自体が嫌われ、できるだけなくす社会の中で暮らす私たちとなりました。子どもたちが牛や馬の強烈な匂いに耐えられないのは無理もないことです。

さてイエスが生まれた、その馬小屋にも馬や牛やロバなどの匂いが充満していたに違いありません。馬小屋と言う時に、現代の私たちに最も想像しにくいのが匂い、臭覚です。でも馬やロバなどの家畜は大切な動物であり、当時の庶民には当たり前、日常のものでした。今の日本のように生きているものが出す匂いまで顔をしかめるような社会ではありませんでした。そういう違いは厳然とある。しかしそれでも決して心地いい匂いではなかったでしょうし、状況が許されるならばヨセフ・マリア夫妻だってせめて普通の場所で出産したかったに違いないのです。

でも結果的に神はそんな生活の匂いに満ちた場所を、一人子の誕生の場所に選ばれたのです。もっとも生活臭のあふれる場所。もっとも生の香りに満ちた場所。家畜という、一番人間に仕えるために飼われていた動物のいた場所。大事なのだけれど、省みられないような場所。全く飾りを必要としない、あるがままの場所。そこにみ子は命を与えられ、生まれてきたのです。それが私は真の意味でのキリストの香りだと思います。イエスが生き、作った環境や関係の中で立ち上る匂いが、救い主の放つ匂いであり香りです。それらを排除した無機質な香りでは決してないはずです。キリストの香りとは生きた匂いではないでしょうか。

きらめくクリスマスを終えて、今ひと段落した私たちは、お正月に当たってこの現実を改めて覚えておきたいと思います。何故ならば、クリスマス、すなわちイエスの誕生は、喜びだけではなく、一方で悲しみの血の匂いが充満した出来事でもあったからです。もちろん、イエス自身に何の罪も関わりもありません。しかし彼が生まれたことで、ヘロデ王の命令によって、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子の大虐殺が引き起こされました。そこには行われたばかりの住民登録が大きく寄与することになりました。この危機を幸いにも免れたイエス、そしてマリア・ヨセフ夫妻ではありましたが、私はこの悲痛な出来事をマリアがその後イエスに話さなかったはずはないと思います。またそれを聞いたイエスが、自分の誕生にまつわる悲劇を、生涯自分の痛み・悲しみとして覚え続けたに違いないと思うのです。そうしてイエスはその誕生から、世の課題と向き合うこととなったのです。

 今日はいつもと違うお正月の匂いがします。このきりっとした雰囲気は悪くありません。でもお正月の匂いは、作られた無臭なのです。ゴミを敢えて出さない。車が少ない、非日常の臭いです。普段の生活臭をいっとき脇へ置いた、いわば作り物の無臭状態だと言えるでしょう。多くの人たちが子どもの頃は、ここまでごみ収集が徹底していませんでしたから、お正月でもあちこちに回収されていないごみの山がありました。衛生的ではないけれど、昨日と今日がどこかでつながっておりました。

誰もが皆、今年一年平安でありたい、そう願います。が、さりとて多くの課題を忘れる訳には参りません。除夜の鐘はお正月を演出する序章です。108つの煩悩があるなら、私もなくしたいし、きれいに流れ去って欲しいです。でもクリスマスは、忘れてはならないことを確認する時でもあるのです。良いことだけでなく、悲しくつらいことがあった、そのことを覚えるのもクリスマスなのです。

天使のお告げどおりイエスと命名された、今日1月1日お正月だからこそ、顔を上げ、本当は満ちているはずの生活の匂いを吸わなくては、臭わなくてはならないのかもしれません。少なくとも私たちは昨日から今日に続く現実と真実をきちんと受け止め、課題を見据え、それに対処すべき力と術を神さまから頂きたいと思います。イエスとは、神は救いであるという意味の名前でした。天使は「この子は自分の民を罪から救うからである」と語ったのです。救いとは、ただ内面のことだけを指しません。私たちが生きるこの世の課題もそこに含まれるのです。


天の神さま、新しい年2017年の歩みをあなたに委ねます。すべてみ心のままに、私たちを導いて下さい。

 




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