東神戸教会
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メッセージ

20170108 『 フアンからファンへ 』 イザヤ書 61:8~11

 今日与えられたテキストは、イザヤ書61章でした。小見出しに「貧しい者への福音」と付けられています。これは、いわゆる第3イザヤが記したものですが、1節から3節には、この第3の預言者イザヤへ与えられた神さまからの使命が記されています。

 その1節の3行目4行目に「私を遣わして貧しい人に良い知らせを伝えさせるために」とあります。この貧しい人と訳されているヘブライ語「アーナーヴ」は、本来の意味は「抑圧されている者」とか「苦しむ者」という意味であり、それも経済的に抑圧されているというよりは、宗教的に、或いは精神的・倫理的に心貧しくされている者という意味の言葉です。

 紀元前539年、バビロニアによって捕囚となっていたイスラエルの民たちに、時のペルシャ帝国クロス王から帰還の許可が出されました。そして翌年にはエルサレム神殿再建に関する布告が出されました。この布告とは、神殿の再建費用はペルシャ帝国が持つということ、またバビロニアによって強奪された神殿の備品は元に戻されるというものでした。

 これによって、もちろん、大いなる希望を持って喜びのうちにエルサレムに帰還した人々もたくさんいたことでしょう。イザヤの預言通り、神はイスラエルの民を赦し、再び国へ戻って、新しい生活を開始できることになったのです。

 ところが、いざエルサレムへ戻ってみると、そこは半世紀前のバビロニアの攻撃で破壊されたままの廃墟のような町と化していました。スラムのようなその町に命ながらえて住んでいた同胞たちも、全く力を失い、ひどくみすぼらしい状態だったのです。この状況に加えて、大きな旱魃が彼らを襲いました。

 エルサレムへの帰還の喜びはまさにつかの間、一転して明日をも知れない生活の不安が民全体を覆ったのです。このみじめな現実の中では、神殿の再建など当然後回しとなります。何はさておき、まずは今日を生きることのみで精一杯となりました。はるばる帰り着いた者にも、それを迎えた者にも、かえって意気消沈させる試練が始まった訳です。

 日本でも戦後すぐの折には同じ状況だったでしょう。中国やシベリアの抑留から、苦労して帰って来たのはいいけれど、戦後復興の道のりは険しく、希望を失って酒に溺れ、精神的におかしくなった人が数多くいたと聞かされます。

 しかし、そのように経済的にも、また精神的にも重なる抑圧、貧しさの渦中にいる人々に向けて、第3イザヤは立たされたのです。1節の続きにあるように、「打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。また、嘆いている人々を慰め、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために」、イザヤは神の言葉を伝える者として立たされたのでした。

 確かに目の前の広がっている現状は厳しく重いものでした。しかし神は彼らを見放したのではありませんでした。むしろ、落ち込んでいる民たちをしっかりと見つめておられたからこそ、もう一度呼びかけ、荒廃の後を新しくする者として用いるという宣言をなしたのでした。これまでの精神的苦痛を二倍にして返し、永遠の喜びを与えると約束されたのです。だから新しい歩みを開始しようと神は力強く語りかけました。

 この告知を与えられた者の応答が10節、11節に記されています。最初に「私は主によって喜び楽しみ、私の魂は私の神にあって喜び踊る」とあります。神の顧みに応答する者の姿がそこに描かれています。新しい歩みを与えられた人々は喜び楽しみ、喜び踊るのです。

 住友生命が毎年募集している、その年の世相を現す創作四字熟語があります。27回目になる昨年の優秀10作に選ばれた一つが「風震火山」というものでした。年々レベルが高くなっているんですが、私が未だにすごいと思っているのが、2008年に選ばれた一つで「暗増景気」という作品でした。これ、クリスマスケーキと読みます。2008年に限りません。不安定で、加速するばかりの世界の政治や経済の危うさ。それとともにまつろう平和への道のりの遠さ。暗さが増す一方の年末にあっては、クリスマスの喜びの傍らに、何か不安がつきまとっているように感じました。無論クリスマスの喜びなど別世界という人々も少なくなかったことでしょう。そしてそれは新年を迎えても同じ状況でしょう。

 かつて戦時中、社会不安や戦禍の中で、ヨーロッパの市中では、「メリー クライシス アンド ア ハッピー ニュー フィアー」という落書きがされたそうです。「危機おめでとう、新しい恐怖に幸あれ」というパロディーです。英語版の創作四字熟語とも言えます。苦境の中でのしたたかな庶民の精神を象徴して、この風刺の精神はとても大切なものだと思います。

 こういうユーモアやパロディー精神の向こうに見えるものがあります。現状の批評だけで終わるものではない、終わってはならないのです。その奥に秘められたものがあります。このお正月、「新しい出会いをいっぱいもらって行きます」、と書かれた、ある方からの年賀状に励まされました。不安は孤独だから与えられるのではありません。大多数の仲間に入れそうにない時、不安に包まれるのです。その誘惑と決別し、人まねではない、オリジナルの歩みをすべきです。不安を打ち壊し、その歩みを始めるには、新しい働きが必要です。新たな出会いを繰り返し求めて行くことが肝心なのでしょう。その後押し、その一押しを私たちになすのが神の業だと思っています。

さて、この時代にあってもイザヤの預言は変わらぬ神の思いを伝えています。神の業はいかなる状況のもとからでも、新しい事を起こすものと聖書は証しして来ました。絶望しかないと思われるところからでも、希望を生み出します。神は貧しい者に良い知らせを伝えるために、解放し、慰め、暗い衣に代えて賛美の衣をまとわせるために、一人子をお遣わし下さったのです。

 ご近所の教会で少し前牧師交代がありました。毎週説教題を見ていますが、だいぶ変わりました。今日は「イエスという名前は、何がいいのですか?」というものでした。職業柄、この題でどういうメッセージを語るのか推測します。誕生から8日め、ヨセフは天使のお告げどおり、男の子に「イエス」と名づけました。その名は「インマヌエル」と呼ばれる、そう天使のお告げがありました。それは「神は我々と共におられる」という意味でした。イエスという名前の、そこが良いのです。その励ましが私たちを新たな歩みへと押し出す訳です。

 私たちにはこれからを生きる上で、実際実にたくさんの不安要素を抱えています。

それらの不安の割には、案外テレビの星座占いで今日のラッキーカラーに喜んでいたりもします。それよりは、インマヌエルの意味にもう少し深く接して良いのではないでしょうか。共におられるイエスが、私たちをしっかり後押しするものと信じます。私たちはイエスによって喜び楽しみ、喜び踊る者と変えられるのです。不安からファンへと、変えられて行くのです。

何が起こるか分からないのは毎年の常です。ですが「大地が草の芽を萌え出でさせ、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、主なる神はすべての民の前で恵みと栄誉を芽生えさせて下さる」とのみ言葉を愚直に受け取り、共に歩んで行きたいと思います。


 天の神さま、2017年の歩みを力強くお導き下さい。





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