東神戸教会
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メッセージ

20170219 『 みんながみんなが ええ言う 』  コリントの信徒への手紙Ⅱ 12:1~10

 2009年、東京に「日本にサルコーマセンターを作る会」という団体が設立されました。サルコーマとは聞きなれない単語ですが、肉腫のことだそうです。分かり易く言うと、悪性腫瘍のことですが、これにはいわゆるガンと肉腫とがあるのです。癌と違って肉腫は、これと言った治療法はなく、肉腫が身体にできるたびに手術して切除するしかない、まことにやっかいな病気です。

 この会の設立を呼びかけ、尽力したのが「吉野ゆりえ」さんでした。吉野さんのことはテレビで何度も放映されました。知っている方も少なくないと思います。

 吉野さんはプロの社交ダンサーでした。筑波大学在学中に社交ダンスと出会って、卒業後はヨーロッパなどで10年あまり修行をして、数々の大会で実績を挙げました。帰国後は、ダンサーとしても指導者としても華々しい活躍をして来ました。芸能人社交ダンス大会の指導にも当たりました。付け加えて言えば、彼女は学生時代にミス日本にも選ばれた人で、かつ華麗にダンスを踊る方、舞姫と呼ばれた、その世界では文句のつけようのない条件を与えられた人でした。

 ところが、その絶頂にあって思いがけず平滑筋肉腫と診断されたのです。10万人に一人の難病でした。すぐに手術を受けましたが、その時点で、5年生存率は7%と宣告されました。まさに奈落の底へと突き落とされたようなものです。離婚となりました。満足に踊ることはできなくなりました。再発が続きます。その度に手術です。痛みを乗り越え、再起するたびに、体力が落ちて行きました。

 しかし彼女は、この病気と生きて行こうと決意するのです。そして命ある限り、ダンスを通して他者の役に立ちたいと願って、視覚障害者のためのダンス、ブラインドダンスの指導に乗り出すのです。更には日本にこれまでなかったサルコーマの研究・治療のためのセンターを作りたいと、あちこちに訴えて、会を立ち上げ、ついに2012年国立がん研究センター有明病院にセンターが誕生するのです。

 吉野さんは、「いのちのダンス」という本を書きました。この本も、テレビに出演を繰り返したのも、すべてサルコーマセンターを作るためでした。それ程に頑張ったのですが、自分の病気については、誰でも悩みや課題を持っている、自分はたまたま「平滑筋肉腫」だっただけのこと、と淡々と本に書かれておりました。ちょっと言えないセリフのようですが、私はこれを読んで「弱い時に強い」というのはこういうことかと思わされたのでした。吉野さんは、結局19回の手術を受け、昨年7月末、48歳で天に召されました。5年生存率7%と宣告されてから、11年生きられました。

 さて今日与えられたテキストが、まさしく、「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」とイエスが語られた言葉の含まれている箇所でした。12章ののっけからパウロは大胆に言うのです。1節、「私は誇らずにいられません」と。これだけを読めば、自分の何を誇るつもりなのか、構えてしまいそうな挑発的な言葉です。

 テキストには繰り返し「誇る」と言う言葉が用いられていて、弱さと並ぶキーワードと言えるでしょう。パウロはかつて皮なめしの職人でした。一方で、ローマの市民権を持ったユダヤ人で、その双方に誇りと自信を強烈に持っていた人でした。例えばペトロなどはもとは漁師でしたから、お金などそうそうない伝道の生活の中で、その経歴が役に立つかと言えば、あまり役には立たなかった訳です。

 しかしパウロは違います。どこへ行ってもそこそこ自分の食い扶持くらいはその手に持つ技術で賄うことができたのです。その上にギリシャ語も話せました。ペトロたちと比べる意味はありませんが、これは相当な武器であったことでしょう。

 説教はそれほど上手ではなかったのですが、かつては熱狂的な律法主義者であった経歴からすれば、情熱的に語るパワーや話術は充分に持ちえていたと思われます。つまり弟子たちのうちで、最も自分を自慢できる、誇りを持った人だったのです。

 そのパウロを唯一、悩ませたのが、病気です。残念ながら、それが何かははっきり特定できません。でも何らか、当時治療のしようのないやっかいな持病があったのです。それは肉体のとげだと自分で言い、サタンから送られた使いだと言い、三度「離れ去らせて下さるよう」主に願った、と7~8節にあります。

肉体のとげというほどですから、恐らく痛みや不快感の伴う面倒な病に違いありませんでした。また三度と言うのも、実際三回だけお願いしたということではありません。それは強調の数字であって、要は何度も願ったということなのです。

 この病気さえなかったら、と繰り返し思ったことでしょう。それならもっと元気にイエスの福音を述べ伝えるのに良かったのに。病気でなかったら、更に活動的に意欲的に頑張ることができたのに。もっと取り組めるのに。そんな当然の思いに包まれたことでしょう。切なる願いです。

 ところが、パウロはここであっさりとその願いを棄てる言葉を書いているのです。それはイエスから「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言葉を頂いたからだとあります。

 事実、そのような示しが与えられたのでしょう。それだけでなく、そのイエスの言葉を裏付ける現実を何度も何度も体験したからなのだと思います。その病あればこそ、なしえた事ごとの連続ではなかったかと想像するのです。いや、むしろその病がなかったら、どうだったかを思います。

 もちろん、その病がなくて全く元気だったら、また働きは別物、違ったものになったかもしれません。けれども、逆に病があって初めてつながれた事、結ばれた事もたくさんあったに違いないのです。だからこそ、その病は自分を思い上がることのないよう与えられたものであり、誇るとすれば、その弱さをこそ誇ろうと語ったのでした。

 吉野さんは、一度肉腫が4センチくらいに大きくなって、本当はすぐに手術しないといけない状態だったのに、視覚障害者のダンス指導を優先したことがありました。その間心配でも不安でもあったでしょうし、実際身体はしんどかったことと思います。ところが何と、耐えたあげく大会が終わって診断を受けると、肉腫が全く消滅していたのです。奇跡と言える出来事でした。残念ながらまたその8ヵ月後に再発してしまうのですが。

 でも、本当の奇跡は、彼女をして視覚障害の方々のダンスを指導する道を選ばせ、実践させられたことこそにあると思うのです。何か大きな力がそうさせたのだと確信するのです。そのような道が示されたことこそが奇跡です。同じように、パウロもそもそもは、キリスト者を迫害する者であったのに、180度変えられて用いられたこと、そこにイエスの奇跡が起こされたのです。弱さの中でこそ力が十分に発揮されるとは、パウロにとって事実でした。ですから、誇るなら主を誇ると語り、自らの弱さを誇るとしつこく語ったのです。

誇りとは何でしょうか?ショーペンハウアーはそれは「自分自身の内側から発するもの。自分自身を直接に貴ぶ気持ちにする、それ故に誇りは寡黙にする。逆に虚栄心は自分を尊ぶ気持ちを自分の外側から得ようとする努力。それ故に虚栄心は人を饒舌にする」、と語っています。誇りは高貴な情熱で、自分自身の欠点を気づかせること、それに気づかないことが高慢であると述べた人もいます。

上田紀行さんが「かけがえのない人間」という本を書いています。上田さんは東京工業大学の先生で、文化人類学者です。仏教を積極的に支援しておられる方ですが、「かけがえのない人間」の中でこう書かれているのです。「一見ネガティブに見える挫折や苦しみは、神さまがあなたのために掘ってくれた穴ぼこです。その穴に落ちる事で、自分が見える、人生が見える。その中でもがきながら、私たちは人生の宝に出会うのです。」と。

 私たち、後これがあれば完璧だと思ったり、願ったりすることの連続です。上田さんが言われるように、一見ネガティブに見える挫折や苦しみ、自分の弱さ、更には試練や病気などのつまづきをたくさん抱えています。そこは確かに闇のような穴ぼこかもしれません。でも、その穴ぼこに落ちて上を見上げる時、空の青さや広さを知ることができるように、光を見出すことができるのでしょう。まさに人はその弱さの中で、発揮される神さまの力を発見するのです。その穴ぼこは自分の努力で得た者ではなく、弱さがあるゆえに神さまが与えられた誇りなのです。パウロを筆頭に何人もの信仰の先輩がそのことを証しして来ました。みんながええと語って来たのです。

みんながええと言うことは吟味を必要とします。誰がどんなことをええと言っているかが大事だからです。通常、弱さが力だなんて、あり得ないことでしょう。でもその信じがたいことが繰り返し語られています。素直にそれを信じ、待つことが或いは信仰かもしれません。一人一人に与えられる賜物や環境は確かに違います。けれど、もし弱る事がある時に、そこで発揮される神さまの力があるなら、これは誰にも同じ贈り物です。吉野さんの経験したこと、パウロの経験したこと、それは特別のことではありません。それら一つ一つに誠実に関わる人生への力を神さまが下さるからこそ、誰とも代えられることができないかけがえのない私たちであるのでしょう。私たちも続く者となりたい。弱さを証し得る者でありたいと思います。


天の神さま、私には私の悩みがあります。でもきっと誰にもそれは与えられているものです。あなたはそれらを受ける力をそれぞれに下さいます。自分だけではなく、誰かだけでもなく、みなと共に、その力を味わい、証しする者として下さい。





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