東神戸教会
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メッセージ

201700305 『 逃げるはマジ 』  ヤコブの手紙 1:12~18

 5月に詩人のアーサー・ビナードさんの講演会があります。ちょうど教区総会と重なっているので、私は行けないのですが、時間のある方はぜひどうぞ。横山恵子さんからいただいた情報で、アーサー・ビナードさん自身も英訳された宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の一節から、南スーダンに派遣された自衛隊の「新任務」「駆け付け警護」についてアーサーさんが語られたところをご紹介します。

「東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ」*

病気の子どものためには駆け付けて看病し、
疲れた母親のために駆け付けて手伝いをし、
死にそうな人には看取りのために駆け付ける。
でも、喧嘩や訴訟には「つまらないからやめろ」と言うだけで、
賢治は駆け付けない・・とアーサーさんは語ります。戦争や紛争がある場に駆け付けてはいけない。巻き込まれるだけで、戦争は止まらない、と。
 さて、以前、生田武志さんから教えられたことがあります。生田さんは、釜ヶ崎を始めとする日雇い労働者の方々との関わりを通して反貧困のための活動をされている仲間の一人です。
 彼の具体的な体験から多くの事を学んだのですが、その中で「カフカの階段」という説明を重く受け止めました。所謂野宿者、ホームレスとは、言わば極限の貧困である訳ですが、誰でもいきなり野宿生活に追いやられるのではありません。一段ずつ階段を下りるがごとく最終のホームレスに向けて、状況が悪化してゆくことを「カフカの階段」と言うのだそうです。
 まず、ある日会社(勤め先)から首を切られることから始まります。解雇され失業する訳です。これが第一段階ですが、これは言わば労働からの排除を意味します。これを発端にして第二段階の、健康からの排除、家庭からの排除へ進みます。失業して病気になったり、離婚したりということです。この間、様々な保険からも切られて行きます。そして住居からの排除が起きて、つまり家賃が払えないとか、ローンが破綻したとかで家を出ざるを得ないことになるのです。しばらく手持ちのお金があるうちはネットカフェや安い宿でしのぎますが、所持金が尽きればアウトです。更にはもはや貯金もなく、生活保護も受けられなくなって、これが最後の「金銭からの排除」ですが、こうして遂に野宿の状態となってしまうのです。
 ものすごく簡単に言いましたが、野宿者となるまでに幾つもの「排除」をうけながら階段を落ちて行くのだと教えられたのでした。クビ、解雇と簡単に言いますが、それは敢えて言えば、「あなたは必要ない」という宣言でしょう。自分の存在を否定される訳です。あなたはもういらない、必要ない存在という宣言、それがどんなに深い心の傷となることでしょうか。言うまでもなく誰も好きでホームレスになるのではありません。そうなったのは自己責任だと冷たく突き放す人もいるようですが、事実はそうではありません。あなたはいらない、という否定の宣言を繰り返し受けながら、心に傷をいっぱい抱えてホームレスになるしかないのでした。
 ですからこそ、生田さんは、こうした人々に対して、ただ経済的な援助だけでは済まない、心の関係性を回復してゆくことが欠かせないのだと言われるのです。一つ階段を落ちるごとに、「あなたは必要ない」と言われるに等しい宣告を受けるのです。傷は深まるばかりです。東工大の上田紀行先生も、だから今、「生きる意味の不況」を何とかせねば、と訴えておられます。
 私は、イエスの十字架と復活は、「あなたが必要なんですよ」という神さまの逆宣言だったと思っています。現代だけでなく、聖書の時代においても、人一人の命や人生が軽んじられる出来事が満ちていたのです。
 レントに入った今、思い起こしたいと思います。イエスが味わわれた40日の荒れ野の試練。それはイエスが小さな命や人生と共に生きられる事を選び取った出来事ではなかったかと振り返ります。悪魔から受けた数々の誘惑は、まさに魅惑的なものばかりでした。その一つでも実際に手を伸ばしておれば、もはや救い主は私たちにとっての救い主ではなく、力あるもの、地位あるものの救い主であり、味方であり、弱者、他者を受け入れることのない、あちらの世界の人(すなわち悪魔の世界の住人)になっていたことでしょう。戦ったというより、選んだ。大胆に突き進んだというより、逃げた。逃げたというより、かわした。そして、関係性を回復されたのです。
 でもどうでしょう。自分で頑張らないで切られる人など知らない。そんな人になってはおしまい。だから勝ち組で生き続けるための努力を懸命にしなければならない。イエスが受けたのとそっくりな誘惑があふれている現代です。
 一方で、幾つもの「排除」を受けるごとに、「自分は必要ない駄目な存在」なのだと、ひたすら自己否定を押し付けられ、自分を認めること自己肯定ができない苦しさへ追いやられてゆく人がたくさんいます。それは決して彼ら自身の罪ではなく、強さを求める人間の罪によって生み出された犠牲者という他ありません。
 今日のテキストの著者は言うのです。思い違いをしてはいけない、と。良い贈物、完全な賜物はみな、上から、光の源であるおん父から来るのだ、と。それは一人子イエスの十字架と復活の出来事があったればこそ語りえた真理の言葉です。神は私たちにどんな欠けがあろうとも、失敗やつまづきがあろうとも、すべて許して下さり、もう一度新しく神さまのみ前に生きる者として下さったのです。それは、「あなたは必要な存在だ」という宣言でした。
 釜ヶ崎ではしょっちゅう訴訟が起こされます。不当に賃金を削られたとか、本名を名乗って解雇されたとか。裁判を起こすのは大変なことです。お金も要りますし、時間もかかりますし、体力も要る。しかもほとんど負けます。それでも思い切って訴えるのです。
裁判だけでなく、デモや集会に、どうして頑張ることができるのでしょう。それは逃げるためだ、と語ったおっちゃんがいてびっくりました。戦っているのは、実は逃げるためだ、と言うのです。もしかしたら本気でことを構えられる時が来るかもしれない。その時はすぱっと逃げる、その練習や、ということです。何もしてなかったら、逃げられなくなるというのです。
 私たちは戦をするために命を与えられたのではないのです。人生を喜んで生きる者となるために命を与えられたのです。やむを得ずホームレスとなった人たちを救う方法は、失われた関係性を一つづつ回復してあげることだと生田さんは言われました。その回復がなされる時、例え少々足りないものがあってもその人は生きて行けるのです。それを構築するために、神さまの宣言がなされました。
 「あなたは必要な存在だ」。神さまはそう一人一人に語りかけて下さる。そうであれば、命を大切にすることのために生きる。だけど何となれば、逃げる。ただし、かわすという意味の逃げです。命を大切にすることであれば、逃げるのは、かわすのは恥ではなく、マジです。当然の選択です。
 命の関係性の回復されるところ、そこでは新しく生きる希望に後押しされて、力が沸くのだと信じます。

天の神さま、あなたと結ばれ、命の関係性が回復します。力を与えられます。そのように生きる者となして下さい。それを伝える者にして下さい。





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