東神戸教会
〒658-0047 神戸市東灘区御影3丁目7-11
TEL & FAX (078)851-4334
 
Topページへ戻る
教会の紹介
礼拝のご案内
集会・活動
行事のご案内
メッセージ
牧師のページ
東神戸教会への行き方
HOME > メッセージ > メッセージ全文
メッセージ

20170521 『 明日 天気になあれ 』 マタイによる福音書 6:1~15

 或る牧師が一生忘れられないと一文に書いておられる「炊飯器のおばさん」との出会いがあります。それを読んで私も忘れられないエピソードになっています。この炊飯器のおばさんとは、東北地方にあるハンセン病の施設にいらっしゃる方なんですが、この牧師が交流会でその施設を訪れた時のことです。その女性はこんな挨拶をなさったのです。
 「ここに炊飯器がありますが、コードがコンセントにつながっているだけでは、ご飯は炊けません。しかしスイッチをポンと押せば、水が湯になります。するとお米が踊り出します。炊けてくるとご飯が立ち上がります。聖書を読む、教会にゆく、献金をするといっても、ちょうど教会とコードでつながっているだけだと、喜びはありません。ところが主キリスト様が分かった時、炊飯器のスイッチをポンと押したように、喜びで心が躍ります。今の私はその喜びでいっぱいです。」
 なかなかにユニークで奥深い表現だと思います。意図してかどうかは分かりませんが、表面上つながっているだけでは何もならないというシビアな皮肉も込められているようです。さて、今日与えられたテキストが描くのは、この炊飯器の話で言ったら、スイッチをうっかり二度押しして、入れたつもりで切ったままになっている、でも全然気づかない人々の事が背景にあると言える事でしょう。
 テキストそのものは、イエスのいわゆる山上の垂訓とか説教とか呼ばれている一連の箇所の一部に当たります。当時、ユダヤ教の人々が生活の中で「善行」として大変大事にしていた事が3つありました。それは「施し」「祈り」そして「断食」です。今日読んだ箇所は、そのうち、「施し」と「祈り」についてイエスが言及したところです。
 施しについては、3節で「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」と言われ、また祈りについては7節にあるように「異邦人のようにくどくど述べてはならない」と述べられています。前後の文章を含めて、いずれも非常に厳しい言葉です。
 イエスはどうしてこのようなきつい戒めを語られたのでしょうか。それは読んですぐ推測されるように、偽りの施しや祈りを献げる人たちが横行していたからです。今日のテキスト中、「偽善者」という言葉が二度も使われています。
 1節で「見てもらおうとして」とあり、2節で「人からほめられようと」とあります。同じように5節にも「人にみてもらおうと」とあります。偽善者たちは人に見てもらい、ほめられたいために「施し」をし、「祈り」を捧げていたという訳です。今日は読みませんでしたが、この続きの「断食」についても、偽善者が人に見てもらおうとして行動していた様子が指摘されています。
 ここで偽善者と呼ばれているのは、律法学者やファリサイ派の人々の事です。ユダヤ教においては、律法に明記されていない善行は、各自の自由に任されておりました。ですから、それだけに明記されている事を守ることより更に意義あることと受け取られていたのです。律法に詳しい律法学者やファリサイ派の人々は、それをよく知っているからこそ、そのような善行を多く行う者ほど信仰深いとし、人々から尊敬を受けると計算したのです。ですからイエスが指摘したように、ことさら大げさに 人に目立ち、注目されるように施しをし、祈りを捧げ、断食をしたのでした。
例えば、施しをする時にはラッパを吹き鳴らしてから、実行するのです。祈る時には長々と祈り、それも自分たちが定めた順番どおりの言葉を用いたのです。或いは、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と順序正しく祈らなければ祈りではないとしていました。自分たちはそう祈り、そうでない祈りを認めなかったのです。戦時中、教育勅語を一語でも間違ったら、大事になったのと同じことでした。過去だけではありません。今教団には、正しい聖餐でなければ、罰則が必要と主張している人たちがいます。また或いは、断食をする時は、いかにもしんどそうな顔つきをして、しんどいけれど頑張ってやっているんだぞと見せかけたのです。時には化粧までしてしんどさを強調していたといいます。それらを、会堂や町の大通りなど一目につく場所で行いました。
 まさに、彼らの善行は、人々の賞賛を得るために、また自分を誇るために敢えてなしたものでした。全く自己満足の行為と言って良いものでした。それがただ彼らの自己満足だけで終わっていたなら、イエスもそこまできつい指摘はされなかったでしょう。放っておかれたことでしょう。しかし彼らの行為は、それを見させられる他の人々の心を乱し、力を奪う誠に醜いものになっておりました。一見善行と思われる行動が、実はそうではないと見抜かれている。でもすっかりいい気になってそれを遂行しているとしたら、マンガですし、腐臭の漂っている行為だと言えるでしょう。
 神学生の時、教会学校の一人の生徒から言われた言葉を今も忘れる事はできません。主任牧師が突然亡くなり、後を任された神学生として張り切って仕事をしていたつもりでした。でも或る時、一人の小学生から冷たく言われたのです。「先生、何カッコつけてるん」。ショックでした。その時は何て生意気を言う子どもやろと腹も立ちました。けれど、冷静に考えると、張り切りすぎて、やっぱりどこか良い自分を見せたいという思いがいっぱいだったと思いあたりました。そんな偽りの、わざとらしい態度を、子どもはちゃんと見抜くんだなと感心もしました。
 それと似た雰囲気が当時の世界に漂っていたのです。人に見せようとし、自分を誇りたいとして律法学者やファリサイ派の人々は、偽りの施しや祈りや断食を捧げておりました。それにいっときは、だまされた善良な人々もいたでしょう。しかし、度の過ぎた彼らの行為は、多くの人に見抜かれ、白々しい見世物に成り下がっていたのです。それはただ多くの人々の気持ちを白けさせるものだっただけではなく、信仰そのものへの方向性を狂わせたり、奪ったりするものとなっておりました。だからこそ、イエスは断固として、それへの戒めを語ったのでした。本来、善行とは、他者に対する愛の行為であるべきものであるはずですが、その関わりが全く抜け落ちて、うわべだけ、内容のない見せ掛けのものになっておりました。言うまでもなく、それは神様が喜ばれる行為ではありませんでした。
 最初に紹介しました或る牧師の別の文章を読みます。
「電車に乗ると、皆きまじめな顔ですわり、誰一人笑ってはいない。しかし連れが或る時、人は楽しげに笑い、話す。そうだ、人は一人では笑わない。相手と向き合い、心に喜びがあって笑うのだ。
 それは必ずしも相手がそこにいなくても良い。また相手が人でなくても良い。就職や入学の合格通知が届いた時、一つの仕事が終わった時、「やった!」と思わず一人で笑ってしまう。
 そして一人で笑える笑いこそ、愛想笑いでない、深い喜びの笑いなのだ。ただこの世の事情は次々変るから、喜びもすぐ悲しみに変ることさえままある。だから悲しみの只中にあって喜べる笑いこそ、深い喜びだ。
 昨年十二月、ずっと前、私に炊飯器を例に信仰の喜びを話された姉妹とハンセン病の療養所で会った。今からだの具合が悪く、所内で入退院を繰り返しておられるが、「すっかり主にお任せしてるから、少しも心配でねぇ」と言われる。ハンセン病の上に病気が重なりながら、喜べるのはなぜか。一人でないからだ。キリストと対話しているからだ。主とお話する時、つまり祈る時、悲しみの中にも喜びがこみあげるのだ。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。祈りは神との楽しく深い対話だ。その時、人は独りでに笑ってしまう。」
 こんな文章を書かれています。イエスは今日の話の後で主の祈りを紹介しました。「私たちに必要な糧を今日与えて下さい」とありました。今日与えられなければならない糧が確かにあります。この必要な糧と訳されているギリシャ語のエピウーシオンという言葉は、新約聖書の中で唯一度、ここだけで使われている言葉です。訳すのに難しい単語ですが、この言葉には「明日の」という意味があるのです。敢えて訳せば、「私たちに明日のための糧を今日与えて下さい」というものになります。
 律法学者やファリサイ派の人々の偽りの行為は、ただ彼らの今だけを満足させるものでした。でもイエスは明日に繋がる力を願われたのです。それが私たちと神様、私たちと隣人の間に置かれる希望の源だからです。
 どんな立派な言葉を繰り返すよりも、一つの良き行いをなす事の方がよっぽど大事な事を私たちは知っています。けれども、更にもっと大事な事は、それが私たちの明日へと繋げられる事です。そのために私たちは、一日一回善を行う前に、私たちの方向を神様に向けなければなりません。それが悔い改めです。常に私たちを明日へと導いて下さる神様に然り、アーメンと唱えたい。今日頑張りたいです。でも今日頑張れなくても諦めず、明日こそは頑張ろう。明日はそんな天気になあれ。例え立派な行いができなくても、明日のためにイエスに向ってアーメンと応える者でありたい、そういう人生の方向転換を目指すものとなりたい、そう願うのです。


天の神様、私たちの言動があなたのみ心に叶うものとなりますようにお導き下さい。



 日本基督教団 東神戸教会 〒658-0047 神戸市東灘区御影3丁目7-11  TEL & FAX (078)851-4334
Copyright (C) 2005 higashikobechurch. All Rights Reserved.