東神戸教会
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メッセージ

20170604 『 自分は、きっと想像以上だ 』 使徒言行録 2:1~11

ダルクという施設があります。ドラッグ アディクション リハビリテーションセンターの頭文字を取ってダルク。薬物依存症を克服するための施設です。病院と違うのは、スタッフをかつては薬物依存症だった人が担当している点にあります。

全国に建てられていて、この辺では大阪にあるんですが、山梨ダルクが定期的に機関紙を送ってくれるので、読んでいます。題して「甲斐福記」。

代表のSさんが「ホームレス施設長エスパー、死んだら許さんぞ!」という文章を最新号に書いておられます。エスパーというのは、施設長さんKのニックネームです。昨年、がんが発見されたのです。その知らせを受けた時、Sさんは別のダルクの施設長をしているNさんと一緒にいました。その時のことを、こう書いています。

受話器を遮り、目の間のシノに告げる。「エスパーがよ、がんらしい・・・。」57才、元暴力団、小指欠損、受刑歴7回のNの目に大粒の涙があふれた。まもなく声を出して泣き始める。Nは私に尋ねた。「エスパーは死ぬんですか?」

この機関紙に書かれていることは、相当に生々しく、多くの人にとって仰天のことがほとんどです。代表のSさん自身もかつて仕事のストレスから覚せい剤を使用して手放せなくなり、ダルクに入って立ち直り、数年後エスパーさんと出会いました。そしてエスパーさんも立ち直って施設長になるのです。

こうあります。

のちに知ることとなる、エスパーの生い立ち。「大阪で生まれた。物心ついた時には両親は離婚。父親は自殺した。母親に育てられた。母親は夜の仕事をしていた。連れ帰る男が、毎夜違った。よく母親は飲み潰れ、エスパーが店に迎えに行った。(なんで俺がこんなことせなあかん)。エスパーが10才ごろの出来事らしい。

「自らをこの世で一番不幸だと思って生きてきた。誰もわかってくれないと、思って生きてきた。だが、数年前にミーティングで変な奴と出会った。(俺よりかわいそうな奴がいる)(俺よりひどい奴がいる)それが私(S)だったらしい。私の人生が役に立ったことが嬉しかった。

Sさんはそうエスパーさんとの出会いを振り返るのです。そして最後に次のように書きます。

「山梨県の皆様、甲府市の皆様、全国の恩人の皆様、今日まで山梨ダルクを育てていただき、ありがとうございます。私の相棒、愛すべきホームレス施設長、エスパーことK、只今闘病中でございます。確かに薬を使い、酒を飲み、好き勝手に生きてきました。よって自業自得と言えばそれまででしょう。

しかし、プログラムに繋がり、生き直して9年。今では山梨ダルクの精神的支柱です。大事な仲間です。ホームレスのアル中から回復し経験を持つ「希望」です。だからこの社会の必要な財産です。改めてお願いがあります。エスパーのために、祈ってください。

神様、お願いがあります。エスパーの病気を治してください。」

私はSさんの文章を読んで泣きました。もちろんエスパーさんのために祈りました。敢えて言えば、Sさんが書いたように、エスパーさんの薬物漬けの過去は自業自得かもしれません。しかし、出会いが与えられ、そこから立ち直り、脱出し、この人は、希望、この人は社会の必要な財産とまで言わしめるその後の人生を歩んで来たのです。過去は不問とは言いません。でもやっぱり今をどう生きるか、それこそが大切なのだと思わずにはおれないのです。

さて、今日はペンテコステ、聖霊が与えられた定番の箇所、使徒言行録2章がテキストに与えられました。使徒言行録は、イエスの十字架の出来事、それに続く復活から以降の弟子たちの出来事が記された書物です。1章にはイエスが復活してから40日間、弟子たちと過ごしたことが書かれています。

その40日めにイエスは天に昇られたということで、今年は5月25日が昇天日でした。更に10日が過ぎて復活後50日めに約束の聖霊が与えられたという訳ですが、では主が具体的に姿を消したこの10日間を弟子たちはどう過ごしていたのでしょうか?

使徒言行録では、死んでしまったユダの代わりにマティアという人物が新たに12弟子に加えられたことが1章の後で書かれています。この使徒言行録を書いたルカは、福音書の方で、イエス昇天後のことをこう記しています。24章の50節から。「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を挙げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」

大喜びでという表現が使われているのは、ここだけです。自分たちの主が天に上げられ、もう実際見ることができなくなったのに、弟子たちは大喜びしたというのです。そしてエルサレムに帰り、絶えず神殿にいて、神をほめたたえた、これがペンテコステまでの10日間の弟子たちの生活です。

思い出しましょう。彼らは主がローマの兵士に捕らえられた時、全員逃げだしたのです。十字架刑まで見守った者は一人もいませんでした。ユダだけでなく、全員が裏切ったということです。ですから、十字架刑で主が亡くなってしまったことに、それぞれが大きな罪悪感と喪失感に包まれたに違いありません。その十字架刑の直前まで、弟子たちは迫り来る危機に怯えて、誰が一番偉いか、一番の弟子になるか、そんな論争まで起こしました。みんな自分が第一でした。

思いがけずイエスが復活され、しかも誰も主から叱責されるでもなく、裏切りの罪を問われるでもなく無条件に許され、安堵と平安の40日を過ごして昇天日を迎えるに至りました。

この時から、弟子たちは「自分第一主義」を棄てたのだと思われます。誰が偉いかとか、逆に自分はダメだとか、そんなことは問題ではなかったのだと知らされました。なぜなら、イエスが昇天する時、最後に弟子たちにこのように語ったからです。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

一人ひとり、個々の過去はもはやどうでも良いことでした。それよりも、約束の聖霊を待とう。その聖霊が与えられる時、個々の能力を超えて、みんなが主の証人としてそれぞれに用いられるのだ。この喜びと期待感が皆をまといました。それ故に、大喜びでエルサレムに帰り、それまで当局を恐れて隠れていた隠れ家を捨て、神殿に集まったのでした。

ペンテコステは教会の誕生と言われます。それはその通りです。でも、では教会とは何か。イエスを信じる一人ひとりの集まりです。みんな過去が違います。個々の能力も違います。そういうものが一切不問とされ、おのおのの立場で、賜物でイエスの証人となるのです。つまり自分が第一と躍起になっていた頃と違う生き方が与えられる、新しい日、それがペンテコステです。イエスの証人とは、神さまが喜ばれることとは何かを考えること、そんな生活を送ることに他なりません。

Sさんはエスパーさんを希望と呼び、社会の財産と言いました。私たちもそうです。自分は、自分の想像以上のものとして神さまに作られ、覚えられ、用いられるのです。聖霊とはそれを気づかせる風なのでしょう。


天の神さま、聖霊をありがとうございます。或いは私たちが洗礼を受け、ここに一つとされていることそのものが聖霊の働きかもしれません。自分ではない大きなあなたの力を信じる者とならせて下さい。


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