『 葉っぱのフレディ 』 ―― 子どもと一緒に読みたい本 @
精神科医 Sachiko.H. (東神戸教会員)
|
今年は秋の冷え込みの到来が遅かったので、わが家の庭の中央に立つけやきは何週間もかけてゆっくりと身にまとう衣装の色を変えていきました。そして11月のある日、一陣の風に吹かれてたくさんの葉があっさり散り、野分の翌朝には葉の数が一度に減りました。次に来た時雨の中でも、多くが枝を離れました。けれど12月に入ってからも、上の方の梢や下の枝にまだ幾葉もの葉が懸命にしがみつくように残っていました。
眺めていると、風が吹きつけるつど、細い枝々はパントマイムを踊るようにしなり、揺れ、それに合わせて葉たちも小刻みに身を震わせ、きりきりと舞い、あるものは風に乗って枝から離れていき、あるものはぴったりと枝に身を寄り添わせていました。そして、今日、偶然私の目の前で、最後の葉たちが散りました。さして強くないおだやかな風がただひと吹き、そよりと吹いたその時、残っていた葉がゆっくりと枝から飛び立ち、木の根元に静かに舞い降りたのです。私はある種の感嘆を覚えてそれを眺めていました。
今年は親しい人との別れがいくつもありました。身内からも90歳を越して旅立った者がいましたし、知人の教授は53歳の若さで去っていきました。医学者らしく自分の試みた新薬の効果と副作用を死の床にありながら詳細にホームページに書き綴った後に。私の本の裏表紙に温かい推薦文を書いてくださった灰谷健次郎さんも逝かれました。哀しみ、寂しさ、無念....思いはいろいろあります。しかし私のけやきの葉たちが旅立っていったように、すべてに時がある、と今強く思います。そして大好きな『葉っぱのフレディ』(レオ・バスカーリア作)を読み返すのです。
葉っぱのフレディは春に生まれました。夏にはもう厚みのある美しい葉になり、仲間の葉たちとともに風の中で踊ったり、太陽や月の光をあびて楽しく過ごしました。真夏の暑さの中では人々に涼しい木かげを作り、気持ちのよい風を送ってあげ、木の下に来る子どもや老人たちを眺めながら生き生きと暮らしました。しかし夏が過ぎやがて霜の降りる寒い季節が来て、フレディたちは一斉に紅葉しました。そして風が吹き寄せるつど、仲間の葉たちはつぎつぎに吹き飛ばされ、まき上げられて、枝を離れていきました。それを見ながらおびえたフレディは「死ぬのがこわいよ」とダニエルに訴えました。いつもそばにいてさまざまなことを教えてくれる思慮深いダニエルは「世界は変化しつづけていて、変化しないものは一つもない。…変化するって自然なことなんだ。…死ぬというのも変わることの一つなのだよ」と語ってくれました。やがてダニエルが枝を離れ、フレディも風に乗って舞い上がり地面に落ちました。そしてやわらかい、意外とあたたかい雪の上で眠りに入りました。実は、フレディは知らなかったのですが・・・・・・。春が来て雪がとけて水になり、枯れ葉のフレディもその水にまじり、土に溶け込んで、新しい葉っぱを生み出す準備をするのです...。
「人はどこから生まれてくるの?」「人は死んだらどこへ行くの?」と真剣なまなざしで幼い子どもに問いかけられ、答えに窮する時があります。そんな時、この本を子どもたちと一緒に読むと、いのちは変化しつつも永遠に生きている、ということが素直に子どもの心にしみ込んでいくように思います。大人の私もそんな風にいのちの旅を思ってみました。落葉の季節に...。
子どものこころ、大人のこころ B
精神科医 Sachiko.H. (東神戸教会員)
真夏を歩く
|
照りつける夏の日差しの中を歩きました。春先に見たジャコウアゲハの夏型に出会えるかもしれないという動植物に詳しい友人の誘いにのったからです。チョウのことは何も知りませんが、護岸工事をしていない川べりの土手を歩いていて、大ぶりの黒い翅(はね)と飛翔していた時に垣間見えた紅色の紋の鮮やかさに見とれたのがこのチョウとの最初の出会いでした。食草のせいか極めて限られた場所にしかいないというジャコウアゲハが、うららかな春の風の中で軽やかに群舞しているさまは、夢のような美しさでした。夏の衣装はまた違うと聞いて、矢も盾もたまらずむせかえる真夏の昼下がり友人と土手道を歩きました。
太陽は真上で木陰一つなく、降り注ぐ光の中をセミ時雨が耳の奥まで染み通ってきました。長い時間暗い土中で過ごした後、つかの間の地上生活を謳歌する小さなセミたちの激しくひたむきな生の証しは、炎暑の日盛りによく似合っています。
これはムクゲ、あれはノウゼンカズラ、と道端の花々の名前を子どものように確かめつつ歩いていくと、ヒマワリが群生している草地に出ました。数年前、まだ幼かった孫娘が大輪のヒマワリを見てわぁ、お日さまのようなお顔、お日さまより大きなお顔、と大はしゃぎしたことを思い出しました。それを聞きながら私は大好きな歌を口ずさんだのでした。「向日葵(ひまわり)は 金の油を身にあびて ゆらりと高し 日のちひささよ」(前田夕暮) 子どもは詩人と同じように、素朴で的確に対象をとらえるまなざしを持っている、と深く感じたことでした。
あぁ、いた、と呼ぶ友人の声に振り向くと、透き通るような薄墨色の翅のジャコウアゲハが草むらから飛び立つのが見えました。春とは違う涼やかさ。幼い日の夏祭りの夕暮れに見た亡き母の薄絹の着物が瞼の奥に浮かんできました。あの日の母の声も聞こえました。
大人になって日々の生活に追われる毎日、ふとめぐりくるすきまの時間に野に出ることはなんと素敵なことでしょう。遠くに広がる青々とした稲田、真綿のような白い雲、汗みずくで飛びまわった田舎の夏の昼下がり。山も川も空も、チョウもセミもトンボも、一緒に遊んだ誰それの顔も瞬時によみがえります。それらはなんとささいなことなのに、なんと胸に深く迫ることでしょうか。きっと30年40年、あるいはもっと前の自分と今生きている自分がまちがいなく生き生きとつながっていると思えて、心が癒されるからでしょう。
幼い子どもの時間にしっかり見たり聞いたりすることが大切です。それはずっと後の大人の時間に貴い意味を持ちます。今年の夏、幼い子どもたちがどこかで何かに触れ、それを心の奥深い所に蓄えておいてほしいと強く思いました。真夏の昼下がりの土手道で。
子どものこころ、大人のこころ A
精神科医 Sachiko.H. (東神戸教会員)
六月の風
|
風子さんという知人がいます。風変わりな名前でしょ、と初対面の時笑いながら、でもうれしそうに話してくれました。自宅で出産を終えたお母さんが生まれたばかりのわが子を抱いて産室の窓を開けた時、涼しい風がすぐ目の前の水田の早苗をそよがせて吹き込んで来ました。わが子とともに見上げた空は透き通るように真青。この子は風の運んでくれた贈物とひらめくように思い、ちゅうちょなくこの名前をつけたというのです。60年以上も前の6月のある朝に。 初めての子を授かった喜びで上気した母の頬と柔らかくてまん丸い赤ん坊の頬がどんなにぴったりとより添い、どんなにしなやかな風が2人のそばを親しげに通り過ぎたか、その場面を想像するだけで楽しくなります。
六月の日本は蒸し暑く不快指数満点の日が多くありますが、そんな季節に正岡子規は「六月を綺麗な風の吹くことよ」と詠みました。こんなさわやかな句を一気に詠み下した子規が実はこの時大喀血をした後の療養中の身だったというのですから驚きです。若くして肺疾で脊椎カリエスにかかり、長い間痛みと苦しみの中を生きた子規。これはその彼が風に吹かれながら、新しく生きる自分を見出すような精神の明るさを感じた瞬間を見事にとらえた句と思えて感動させられます。
今年の六月四日はペンテコステ(聖霊降臨日)でした。イエスさまは十字架の死から復活なさり天に上げられましたが、その後弟子たちの上に聖霊の導きが降り教会の宣教が始められました。これがペンテコステの出来事です。ペンテコステのシンボルの一つも「風」で、突然激しい風が吹いたと聖書に書かれています。「風」によって劇的な何かが起こり、新しく生まれることができるという導きと恵みを私たち人間は神さまから与えられている、と牧師は礼拝で語られました。
私の診察室で、不登校で反抗的なわが子をどうしても否定的に眺めてしまうといつも苦しそうに語るお母さんがいました。そのお母さんが「お茶碗を洗っていてふと、あの子は大丈夫と信じられる瞬間があり、急に気持ちが変わりました」とある時話されました。ああ、あれは「風」だったのだと今思い当たります。そしてそれをお母さんが感じとられたことを心底うれしく思います。何がどうであるからどうであるといった説明はできませんが、長い苦しみの中にあってふと新しい自分を見出す不思議な瞬間の訪れが信じられることは喜びです。それが「風」なのでしょう。
六月の風が今日も吹いています。新しく生まれる道に自分が導かれますようにと祈っています。
|